「菊川宿」の版間の差分

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'''菊川宿'''(きくがわしゅく) は中世に栄えた旧[[東海道]]の[[宿場]]であるが、江戸時代には[[東海道五十三次]]に指定されず[[間。現在宿]]となった(西は[[日坂宿静岡県]]、東は[[金谷宿島田市]]菊川旧東海道の三大難所([[峠]])のひとつとされる'''[[小夜の中山]]'''の東麓、[[牧之原台地]]西麓に位置し、側には[[菊川]]が流れる。
 
江戸時代には[[東海道五十三次]]に指定されず[[間の宿]]となった(西は[[日坂宿]]、東は[[金谷宿]])。
現在の[[静岡県]][[島田市]]菊川であるが、江戸時代までは[[遠江国]]榛原郡菊川村であった(現在の[[菊川市]]である[[小笠郡]][[菊川町 (静岡県)|菊川町]]は、菊川村消滅から60年余を経た1954年に誕生している)。
 
==沿革==
*1575年(天正5年) 諏訪原城の戦い
*1601年(慶長6年) 宿駅整備により、東海道五十三次が指定される。菊川宿は五十三次の正規の宿場から外れ、間の宿となる。
*1889年(明治22年) [[榛原郡]]菊川村が周辺町村と合併し、[[榛原郡]][[金谷町]]として町制施行。
現在の[[静岡県]][[島田市]]菊川であるが、江戸時代までは[[遠江国]]榛原郡菊川村であった(:現在の[[菊川市]]である[[小笠郡]][[菊川町 (静岡県)|菊川町]]は、菊川村消滅から60年余を経た1954年に誕生している
*2005年(平成17年) 島田市と金谷町が合併(新設合併)して島田市となり、島田市菊川となる。