「作並温泉」の版間の差分

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奥州里諺集
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== 歴史 ==
[[721年]](養老5年)に[[行基]]が発見したとも、[[1189年]](文治元年)に[[源頼朝]]が発見したともいうが、これらは一個の伝説にすぎない。しかし古くから地元の人に知られていたらしく、[[1761年]](宝暦10年)の『奥州里諺集』、[[1761年]](宝暦11年)の『奥州仙台領遠見記』に作並の湯のこと見える。湯渡戸という坂のそばに温泉があり、石などで囲って近在の者が入湯した。湯治客が来と記すような著明な温泉地ではなかった
 
[[1796年]](寛政8年)に、若松喜惣治が[[仙台藩]]の許しを得て開湯に着手した。道路と設備を整えるのに8年を要したという。広瀬川の左岸(東岸)にある現在の鷹泉閣岩松旅館の前身である。これを古湯として、[[1855年]](安政2年)に開かれたものを新湯という。[[出羽国]][[村山郡]]猪沢の人秀治が、地元の石垣彦左衛門と奥山伊三郎と三人で開き、作並神湯と称したものである。古湯の北西対岸にあり、現在の神の湯作並ホテルの前身である。大正時代まで作並温泉には二つの旅館だけがあった。
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== 参考文献 ==
*古文書を読む会『奥州仙台領遠見記』(宮城県図書館資料1)、1978年、原著1761年。
*『仙台領の地誌』、今野印刷、2001年、ISBN 4-906607-17-9。(『奥州里諺集』、「奥州仙台領遠見記」を収録)
 
== 外部リンク ==