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[[20世紀]]に至って、パレートの学問的な関心は経済学から社会学へと移って行き、それと同時に[[自由主義]]的・[[民主主義]]的な思想・運動への批判を強めていった。これは、彼の政治活動の失敗や自由主義・民主主義への幻滅によるものだとも考えられる。
[[第一次世界大戦]]後には、急速にイタリア社会で影響力を持つようになった[[ベニート・ムッソリーニ]]が率いる[[ファシスト党]]の運動にも関わるようになったため、彼の社会学理論はファシスト体制御用達の反動理論との批判を受けるようになった。ちなみにムッソリーニは[[社会主義]]者時代にパレートの講義を聴講したことがあった。
晩年において、病に冒されながらも精力的に社会学の体系化を試みるが、その途上、1923年に75歳でその生涯を閉じた。
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