「江川卓 (ロシア文学者)」の版間の差分

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'''江川 卓'''(えがわ たく、男性、[[1927年]][[1月24日]] - [[2001年]][[7月4日]])は、[[東京都]]出身の[[ロシア文学者]]、[[東京工業大学]][[名誉教授]]。本名は、「'''馬場 宏'''(ばば ひろし)」。
 
[[フョードル・ドストエフスキー]]の[[翻訳]]・[[研究]]などで知られる。[[日本放送協会|NHK]]の[[ロシア語講座]]の講師も長く務め、多くの人に親しまれた。本名と無関係のペンネームを使用したのは、戦後間もない頃、[[ロシア文学]]などやっていると[[共産主義者]]と疑われていたような時代に、秘密の文学サークルを作って活動していた時代の名残である
 
熱心なドストエフスキー研究家であることなどから、「ドストエフスキーなら江川の訳で読め」と言う著名人も多い。([[齋藤孝]]など)
 
ちなみに元[[プロ野球]]選手([[読売ジャイアンツ|巨人]])で[[野球評論家]]の[[江川卓 (野球)|江川卓]]('''えがわ すぐる''')とフルネームは同じだが、読み方は違う。
 
==略歴==
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2001年7月4日午前9時13分、[[気管支炎]]で死去。享年74。
 
== ペンネーム ==
本名と無関係のペンネームを使用したのは、戦後間もない頃、[[ロシア文学]]などやっていると[[共産主義者]]と疑われていたような時代に、秘密の文学サークルを作って活動していた時代の名残である。
 
由来は、中国の[[揚子江]]で酒を呑んだらうまかろうという思いから<ref>[[朝日新聞]]東京本社企画報道部編『惜別 忘れ得ぬ人たち』[[主婦の友社]]、2003年、p16</ref>。
 
==著書==
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*その時、その所 [[ユーリー・トリーフォノフ]] [[吉岡ゆき]]共訳 群像社 1987
*赤いパイプライン E.トーポリ 新潮文庫 1988
 
== 脚注 ==
<references/>
 
{{DEFAULTSORT:えかわ たく}}