「クリストファー・ホグウッド」の版間の差分

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[[ノッティンガム]]出身。[[ケンブリッジ大学]]ペンブローク校にて最初に古典学を学んだ後、専攻を音楽に変えた。当時同大学で教鞭を取っていた、レイモンド・レッパードと[[サーストン・ダート]]らに師事。。[[ブリティッシュ・カウンシル]]の奨学金を得て[[プラハ]]に留学、チャールズ大学で研究を行い、マリー・ポッツ、[[ラファエル・プヤーナ]]、[[ズザナ・ルージチコヴァー]],[[グスタフ・レオンハルト]]らにチェンバロ演奏を学ぶ。
 
[[1967年]]に[[デイヴィッド・マンロウ]]と[[ロンドン古楽コンソート]]を創設し、同コンソートのメンバーとして活躍。また[[ネヴィル・マリナー]]率いる[[アカデミー室内管弦楽団]]のチェンバロ奏者を務めたほか、同楽団のため楽譜の編集、校訂も行った。[[1976年]]にマンロウの突然の死でロンドン古楽コンソートは解散。その3年前、[[1973年]]に創立した[[エンシェント室内管弦楽団]]('''Academy of Ancient Music'''[略称'''AAM'''])を率いて、オリジナル奏法による古楽器演奏で[[バロック音楽]]と[[古典派音楽]]の解釈や表から代の作品にいたるまで、作曲家各々の音楽り方を追究実践してきた。キャリアを通じて、鍵盤楽器奏者としても活動しており、録音も多い。
 
ホグウッドのもっとも知られる業績として、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の交響曲全集がある。では、オリジナル楽器による演奏であったるのは勿論だが、彼は音楽学者ザスローの協力の下、各々の楽器編成から奏法に至るまで、原点に立ち返って検討、再現した。また彼はこの時、コンサートマスターのヤープ・シュレイダーと共に指揮をしている。彼自身音楽学者であるが、これ以降の録音でも、各々の作曲家、作品で他の音楽学者に協力を仰ぐ姿勢は変わっていない。
 
[[1981年]]からは[[アメリカ合衆国]]でも定期的に指揮を執り、現在では[[マサチューセッツ州]]のボストン・ヘンデル=ハイドン協会(Handel and Haydn Society)の桂冠指揮者に任命されている。[[1983年]]から[[1985年]]まで、ロンドン・[[バービカン・センター]]で催されたモストリー・モーツァルト・フェスティヴァルの芸術監督に着任。[[1987年]]から[[1992年]]まで[[ミネソタ州]]の[[セント・ポール室内管弦楽団]]の音楽監督を務めた。また20世紀の音楽の演奏も積極的で、近年はモダン・オーケストラに客演する機会が増えているが、ピリオド奏法の発想を採り入れたり、[[20世紀]][[新古典主義音楽]]([[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]や[[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]]など)の演奏に、バロック音楽や古典派音楽の経験と知識を生かすなど、独自色を出している。