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'''永原 慶二'''(ながはら けいじ、[[1922年]][[7月12日]] - [[2004年]][[7月8日]] )は日本の[[歴史学者]]。専門は日本中世史。[[一橋大学]][[名誉教授]]、[[和光大学]]名誉教授。妻の[[永原和子]]は[[女性史]]研究者である。[[経済学博士]](一橋大学)。
 
[[中国]][[大連市]]に生まれる。1939年に[[東京高等学校 (旧制)|東京高等学校]]文科乙類を卒業後、[[東京大学|東京帝国大学]]文学部国史学科に入学。1943年、[[学徒出陣|文科系学生の徴兵猶予停止]]にともない、[[海軍]]の[[大竹海兵団]]に入団。1944年、東京帝国大学国史学科卒業。終戦後に帰郷し、東京帝国大学大学院に入学。1947年[[東京大学史料編纂所]]員となる。1949年には文部事務官となり、『[[大日本史料]]』第三編の編纂業務に従事。1958年、一橋大学経済学部助教授となり、日本経済史講座を担当。1962年に一橋大学より「日本封建制成立過程の研究」により[[博士 (経済学)|経済学博士]]の学位を取得。1963年から1986年まで一橋大学教授を務めた。退官した1986年に一橋大学名誉教授。1986年から1988年まで[[日本福祉大学]]経済学部教授(88年から98年まで客員教授)、88年から93年まで[[和光大学]]人文学部教授。同大学退官にあたって名誉教授。
 
また、学会においては、1970年から1973年まで[[歴史学研究会]]委員長、1978年から1985年まで[[日本学術会議]]会員、1978年から1993年まで[[文化財]][[保護]]審議会専門委員、1983年から1989年まで比較家族史研究会(のち比較家族史学会)会長をつとめる。