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父親は陸軍少将の[[久世弥曽吉]]、弟は演出家で作家の[[久世光彦]]。[[東京都立日比谷高等学校|都立第一中学]]、[[陸軍幼年学校|東京陸軍幼年学校]]、[[陸軍士官学校_(日本)|陸軍士官学校]]、[[富山高等学校 (旧制)]]を経て[[東京大学]]法学部を卒業。その後[[自治省]](現・[[総務省]])入省、秋田県財政課長、自治省官房審議官、[[自治大学校]]校長を経て1983年、参議院選挙比例代表にて出馬、落選したが、1986年に当選、[[宮沢派]](のちの[[加藤派]])に属す。
 
元[[金融担当大臣|金融相]](金融再生委員長)、税制調査会副会長など。3期18年めて引退。2000年に[[第2次森内閣]]の金融相(金融再生委員長)として初入閣したが、参議院比例選挙において大手マンション会社から党費を肩代わりしてもらい、自民党比例名簿上位に登載して当選していたことが発覚し、わずか1ヶ月足らずで更迭された。余談として、相手である[[ジャーナリスト]]から金銭の供与を仄めかされて断り発覚したともいわれた<ref>ブラックジャーナリズムについては、[[暴力団#歴史と区分]]を参照。</ref>。このことによって参議院比例選挙において[[非拘束名簿式]]が導入されるきっかけになった。
 
大学講師、著書多数。