「旧ワサ・ダウン住宅」の版間の差分

ワサ・ダウン氏の氏素性について
(ワサ・ダウン氏の氏素性について)
 
なお、玄関前の羊飼像とガーデンテーブル・チェアは19世紀に[[ハンプシャー]]のマナーハウスで使用されていたもので、[[ガス灯]]と[[ポスト]]は[[チェルシー (ロンドン)|チェルシー]]で使用されていたもの。
 
==ワサ・ダウン氏について==
ワサ・ダウンとは英国海軍軍艦 H.M.S.Iron Duke にて1873年10月27日に長崎に上陸した英国軍人 William Down Sr.(1849/10/08~1905/02/20, 55歳で神戸にて死す),英国Devon出身,と結婚した長崎の丸勢兵太郎の娘、丸勢ワサ(1857/09/22~1930/11/17, 73歳で神戸にて死す)のことです。ですからワサは日本人の女性でした。長い歴史の中でいつの間にか英国人の男性と思われてしまったようです。四国村のワサ・ダウン邸は明治38年、夫であるWilliam Sr.が亡くなった年に神戸・北野に建てられた家でワサが73歳で亡くなるまで住んでいたと思われます。ワサは夫William Sr.が亡くなった後、不動産を生業としていたようです。ワサは熱心なキリスト教信者で洗礼名をモニカ Monica と称しました。この記述を書いている私はワサの曾孫の一人です。William Sr.とワサは結婚後5人の息子と3人の娘に恵まれました。 ダウン・ファミリーは、その後第二次世界大戦という大きな試練を乗り越え、国内は神戸・横浜に、また海外は米国、カナダ、イギリス、オランダ、その他の国で存続しています。四国村にて今もワサ・ダウン邸を美しく堅持して頂きワサも感謝していることと思います。四国村の関係各位に深謝します。2007/09/04 記述。以上
 
 
==建築概要==
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