「旧ワサ・ダウン住宅」の版間の差分

日英呼称統一、脚注、、、など修正。コメント部除く:気持ちは分かるが、、、蔓延しても困るので。
(日英呼称統一、脚注、、、など修正。コメント部除く:気持ちは分かるが、、、蔓延しても困るので。)
[[画像:Down house01s3200.jpg|thumb|160px|西面]]
[[画像:Down house06s3200.jpg|thumb|160px|2階部分]]
[[明治38年]]、[[神戸市]]の[[北野町山本通|北野町]]に[[英国|英国人]]ウィリアム・ダウン(William Down Sr.)<ref>ウィリアム・ダウン - 1849年10月8日~1905年2月20日、55歳で神戸にて死す。英国Devon出身。</ref>の自邸として建設された木造2階建の[[西洋館]]は、外壁下見板張の[[コロニアル]]スタイルという、所謂異人館の様式である。
 
竣工年にウィリアム・ダウンが死去したため、妻の名前によりワサ・ダウン住宅として呼ばれるようになった。([[#ワサ・ダウンについて]]を参照)
 
[[昭和19年]]から[[昭和50年]]まで[[日本郵船]]の[[船員]][[寮]]東棟として使用され(西棟は現[[みなと異人館]])、このときまでに階段位置の変更など内部に改造が加えられている。日本郵船の寄贈により[[昭和51年]]に現在地である四国村に移築され、神戸市の指導によって建設当初の姿に復元された。現在は1階を喫茶室、2階を事務室として活用されている。
 
==ワサ・ダウンについて==
ワサ・ダウンとは英国海軍軍艦 H.M.S.Iron Duke にて1873年10月27日に長崎に上陸した英国軍人 William Down Sr.(1849/10/08~1905/02/20, 55歳で神戸にて死す),英国Devon出身,ウィリアム・ダウンと結婚した長崎の丸勢兵太郎の娘、丸勢ワサ(1857/09/22~1930/11/17, 73歳で神戸にて死す)という日本人女性である。
 
四国村のワサ・ダウン邸は明治38年、夫であるWilliam Sr.ウィリアム・ダウンが亡くなった明治38年に神戸・北野に建てられた家でワサが73歳で亡くなるまで住んでいたと云われる。ワサは熱心なキリスト教信者で洗礼名をモニカ Monica (Monica)と称し、<!--この記述を書いている私はワサの曾孫の一人です。-->William Sr.ウィリアムとの間に5人の息子と3人の娘をもうけた。ダウン・ファミリーは、国内は日本の神戸・横浜、また海外は米国、カナダ、イギリス、オランダ、その他の国で存続している。<!--四国村にて今もワサ・ダウン邸を美しく堅持して頂きワサも感謝していることと思います。四国村の関係各位に深謝します。2007/09/04 記述。以上-->
 
==建築概要==
*[[琴電屋島駅]] 徒歩5分
*[[高徳線]] [[屋島駅]] 徒歩10分
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
 
<references />
 
==外部リンク==
 
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[[Category{{DEFAULTSORT:高松市の観光名所|きゆうわさたうんしゆうたく]]}}
[[Category:高松市の建築物|きゆうわさたうんしゆうたく観光名所]]
[[Category:高松市の建築物]]
[[Category:北野町山本通|きゆうわさたうんしゆうたく]]
[[Category:明治時代の建築|きゆうわさたうんしゆうたく]]
[[Category:西洋館|きゆうわさたうんしゆうたく明治時代の建築]]
[[Category:西洋館]]
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