「ヨハネス19世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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[[1024年]]、神聖ローマ皇帝[[ハインリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ2世]](在位1002年 - 24年)の死に際し、ヨハネス19世は[[コンラート2世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート2世]](在位1024年 - 39年)の即位を支持し、コンラート2世は[[1027年]]の[[復活祭]](3月26日)に[[サン・ピエトロ大聖堂]]にて戴冠を受けた。
 
同年の4月6日、ラテラン宗ノ[[会議]]を開き、[[アクイレイア総大司教]]に対して総大司教の地位を認め、対立していた[[グラード総大司教]]を支配下に置くことを宣言した。しかし、[[1029年]]にはこの宣言を撤回し、グラードに再びその地位を認めた。他に、[[バーリ]]の大司教ビザンティウスに[[公開勅書]]を与え、その12座の[[属司教]]の聖別権を付与した。
 
ヨハネス19世の死後、その甥に当たる[[ベネディクトゥス9世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス9世]]がその地位を継承した。この時ベネディクトゥスはまだ若年であったといわれ、史料によっては12歳であったと伝えるが、通説ではおそらく18か2018~20歳程度であったとされている。
 
なお、[[ヨハネス20世 (ローマ教皇)|ヨハネス20世]]は存在せず、次にヨハネスを名乗ったのは1276年に位に就いた[[ヨハネス21世 (ローマ教皇)|ヨハネス21世]]である。また、[[ヨハネス16世 (対立教皇)|ヨハネス16世]]は[[対立教皇]]であったため、正確にはローマ教皇としてのヨハネスは18人目であったが、同時代にはこのような認識はなく、16人目の教皇ヨハネスは自らをヨハネス17世と名乗ったため、18人目の教皇ヨハネスも19世となった。更に一部の歴史家は、ヨハネス14世とヨハネス15世の間に、もう一人別の教皇ヨハネスがいたという伝説に基づき、ヨハネス19世を、ヨハネス20世、あるいはヨハネス19世(20世)と呼んでいる。このようなことから、教皇ヨハネスの代数は非常に複雑なものとなっている。
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