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== 生涯 ==
[[ドレスデン]]で[[ハインリヒ・シュッツ]]率いる[[ザクセン公国|ザクセン]]宮廷楽団において、少年聖歌隊員として[[音楽教育]]を受け、さらに[[ハンブルク]]の聖ペーター教会にて、名高い[[ヤーコプ・プレトリウス]]に[[オルガン]]を師事。
 
旧師シュッツが青年時代に[[イタリア]]に留学して、[[ジョヴァンニ・ガブリエーリ]]や[[クラウディオ・モンテヴェルディ]]に影響されたことから、ヴェックマンはドレスデン時代に、[[コンチェルタート]]や[[複合唱]]、[[モノディ]]など同時代のイタリア音楽の作曲様式を紹介された。ハンブルクでは、[[ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク]]の門人たちの作曲様式にも影響されている。ヴェックマンは[[1637年]]にシュッツに同行して[[デンマーク]]を訪れた後、[[1638年]]から[[1642年]]まで[[ザクセン選帝侯]]の宮廷オルガニストを務め、([[三十年戦争]]中の)[[1647年]]までにデンマークに復帰している。