「ペトルス・ダミアニ」の版間の差分

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ペトルス・ダミアニは人里離れた修道院に住んでいたが、教会の運命をしっかり見定めていた。教会にとって嘆かわしい時代であったが、ペトルスは友人ヒルデブラント(のちのグレゴリウス7世)とともに改革に尽力した。評判の悪かった[[ベネディクトゥス9世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス9世]]が[[1045年]]に首席司祭ヨハネス・グラティアヌス([[グレゴリウス6世 (ローマ教皇)|グレゴリウス6世]])の手によって教皇位からおろされた際は、ペトルスはこれを支持してグレゴリウス6世に手紙を送り、[[ペザーロ]]や[[チッタ・ディ・カステッロ]]、[[ファーノ]]の堕落した司祭などを槍玉に挙げて、イタリア教会の堕落に対処するよう懇請した。
 
また[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]と交流を持つなど活動の領域を拡げるようになった。[[クレメンス2世 (ローマ教皇)|クレメンス2世]]がハインリヒ3世と王妃アグネスにローマで戴冠した時に、ペトルスはローマに滞在しており、[[1047年]]の年初に[[ラテラノ大聖堂]]で開かれる教会会議に出席し、会議の決議によって[[聖職売買]]は禁止された。
 
===『ゴモラの書』とヒルデブラントの改革===