「百々ヶ峰」の版間の差分

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'''百々ヶ峰'''(どどがみね)は、[[岐阜県]][[岐阜市]]の最高峰で、標高417.9mである。しかし「[[地形図]]」に最初に山名が記された[[1923年(]](大正12年)発行の「[[陸地測量部]]編纂の二万五千分の一地形図『岐阜』」において、本来の位置より約1000m西の、標高341.5mの、それこそ“なんでもない[[三角点]]”に誤って「百々ヶ峰」の名が記され、東西南北のどこからも仰ぎ見られた417.9mの岐阜市最高峰は「無名」にされてしまった。翌[[1924(年]](大正13)に五万分の一の地形図『岐阜』が発行されたが、百々ヶ峰の位置の誤りは追認され、戦後の[[国土地理院]]発行の地形図になっても正されないままであったため、登山者たちは無名になっていた岐阜市の最高峰を(東峰)、地形図で「百々ヶ峰」とされた三角点を(西峰)と呼んで区別をしていた。百々ヶ峰の位置の誤りが、あまりに長かったために、角川書店や平凡社の「地名辞典」でも最高峰を無視し、341.5m峰を「百々ヶ峰」としている。しかし[[2003年]]に市民から「岐阜市の最高峰こそ百々ヶ峰」との声が上がり、江戸時代の古地図や「新撰美濃志」「濃陽志略」などの古文書の中に書かれた“江戸期の百々ヶ峰”が幾つも市に寄せられるに及んで、[[2007年]]3月に岐阜市もやっと国土地理院に「地名等の訂正申請」を行い、同年3月30日に標高417.9mの岐阜市最高峰に「百々ヶ峰」の名が戻った。陸地測量部によって名前が剥奪されてから84年ぶりのことであった。それと同時に、それまでの地形図の「百々」には「とど」とフリガナが打たれていたが、これも「どど」に訂正され、同年4月7日国土地理院のホームペから[[インタネット]]に配信されている『[[電子国土]]基幹情報』の地形図において公示され、次回の「紙地形図」の発行で、正しい位置の図版が出されることとなった。
 
この山は岐阜市を流れる[[長良川]]の北に位置し、岐阜県山岳連盟(編)『[[続ぎふ百山]]』岐阜新聞社(1987([[1987]]7月)や、2000([[2000年]](平成12)2)2月号の「山と渓谷」で紹介されている。もちろん地形図では無名にされていた時代であるが、417.9mの無名にされていた最高峰を「百々ヶ峰」として記述しているのは、筆者の識見を物語っている。
 
== 登山道 ==
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==その他==
[[2001年]](平成13年)4月23日、松籟団地付近から出火、南側斜面約8haを焼いた。この山火事の後、桜の植林が行なわれた。
 
== 校歌に歌われている学校 ==
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*[[岐阜市立長良東小学校]]
*[[岐阜市立岩野田小学校]]
 
==外部リンク==
*[http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewImage.do?WorkName=CCB20062X&CourseNo=C2&PhotoNo=20 国土地理院・国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム:百々ヶ峰]
*[http://cyberjapan.jp/cgi-bin/opencjapan.cgi?x=136.800067&y=35.463033&s=10000 国土地理院 電子国土地図:百々ヶ峰]
 
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