[[Image:Burrard Inlet and the Second Narrows.JPG|thumb|300px|right|バラード入り江(奥に見えるつり橋がライオンズゲートブリッジ)]]
'''バラード入り江'''は、[[カナダ]]・の[[ブリティッシュコロンビア州]]南西部に存在すある岸部辺から水底にかけてなだらかで比較的浅い入り江である。[[最終氷期]]の只中で頃に形成されたバラード入り江は、バラード半島([[バンクーバー市 (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]とや[[バーナビー市 (ブリティッシュコロンビア州)|バーナビー]])と[[ウエストバンクーバー]]市、や[[ノースバンクーバー]]市が存在すある北岸地域とを二分している。
バラード入り江周辺には数千年の昔より、スカーミッシュ等のカナダ[[先住民族]]が住んでいる。この地域に[[スペイン]]の探検隊が初めて足を踏み入れたのが1792年6月19日のことであり、探検隊の隊長アルカラ・ガリアーノによって「Canal de Floridablanca」と名づけられた。その直後、[[イギリス]][[海軍]]所属の探検家[[ジョージ・バンクーバー|]]によってこの入り江は、彼の友人であったハリー・バラード卿の名にちなんでバラード入り江と名づけられた。
ジョージ・バンクーバー]]によってこの入り江は、彼の友人であるハリー・バラード卿の名にちなんでバラード入り江と名づけられた。
== 地理 ==
[[Image:BurrardInletIndianArm.jpg|thumb|200px|インディアンアーム]]
入り江は[[ジョージア海峡]]から[[ポートムーディ]]に向かってほぼ垂直に東方向に伸びており、沿岸部には近代的な[[港]]、工業地帯(下に詳述)が整備されている他、[[バンクーバー市]]、[[ウエストバンクーバー]]市、[[ノースバンクーバー]]市、バーナビー市、ポートムーディ市などの住宅地が存在する。入り江の後ろ1/3は、[[ディープコーブ]]とベルカーラの間から北側に水面下が非常に急峻な[[インディアン・アーム]]と呼ばれるフィオルドが形成されている。インディアン・アームは幅がおよそ2km弱の入り江ながら最深部では深さ200m以上ある。入り江はジョージア海峡からポートムーディまで25kmの距離があり、インディアン・アームも20kmの長さがある。入り江には西から[[ライオンズゲートブリッジ]]、や[[アイロンワーカーズメモリアルブリッジ|アイアンワーカーズメモリアルブリッジ]]そして、[[セカンドナローブリッジ]]の三本の橋が架けられている他、。入り江の横断手段として[[シーバス|シーバス (バンクーバー)|シーバス]]が運行されており、バンクーバー市中心部のウォーターフロント、とノースバンクーバーの[[ロンズデール・キー|ロンズデール・キー]]間を往復している。ライオンズゲートブリッジからメモリアルブリッジの間の5kmの区間では大型[[旅客船]]を含めた、多くの船舶が航行し、水上[[飛行機]]がも離発着を行う。
== バンクーバー港 ==
[[Image:BurrardInletSunset.jpg|thumb|300px|入り江の夕日]]
バラード入り江はバラード半島の先端の[[スタンレーパーク]]が外洋の波を受け止めるため、内部は波が非常に低く穏やかであるため港として非常に重宝されている。岸部辺の一部は[[住宅街]]や商業街であるが、それ以外の沿岸部には船の積荷を運ぶための[[鉄道]]ステーション、コンテナ積み下ろしターミナル、コンテナ船の発着場、穀物用エレベーター、[[石油精製所]](入り江東部)などの港湾施設が林立している。[[貨物船]]は入り江側への入港を待つ際には半島によって分け隔てられた南側のイングリッシュ・ベイに停泊する。入り江の港近辺で昔から変わらず緑が生い茂っている場所は[[スタンレーパーク]]などごく一部であり、かなりの地域が開発されているが、インディアン・アームは都市部に隣接していながら、上述のように沿岸部が非常に急峻であるためほとんど開発されていない。(周辺にハイキングトレイルがある程度である。)。
== 関連項目 ==
*[[バンクーバー市]]
*[[シーバス]]
*[[スタンレーパーク]]
*[[アイロンワーカーズメモリアルブリッジ|アイアンワーカーズメモリアルブリッジ]]
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== 外部リンク ==
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*[http://www.pac.dfo-mpo.gc.ca/sci/OSAP/projects/bcinlets/indian_arm_e.htm/ 入り江の諸元を詳述したページ(英語)]
[[category:カナダの地理|はらあといりえ]]
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