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'''天皇記'''('''てんのうき'''、'''すめらみことのふみ''')は、[[620年]]([[推古天皇]]28年)に[[聖徳太子]]と[[蘇我馬子]]が編纂したとされる[[歴史書]]である。
 
『日本書紀』推古28年の是歳条に、
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とある。
 
事実とすれば、[[帝皇日継]]・[[帝紀]]とほぼ同様の内容で、[[天皇家]]の系譜を記したものだと考えら推定さている。また、未完であった可能性が高い。[[国記]]とともに編纂された。
 
[[645年]]([[皇極]]5年)に起きた[[乙巳の変]]の際に、[[蘇我馬子]]の子である[[蘇我蝦夷]]の家が燃やされ、そのとき国記とともに焼かれたとされるあるいは国記のみが焼ける前に取り出されて残ったともいわれるが、国記も現存していない。
 
『日本書紀』皇極4年6月条に