「砺波平野」の版間の差分

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[[画像:Aerial photograph of Dispersed settlement in Tonami plain.jpg|right|200px|thumb|砺波市野村島付近<br/>{{国土航空写真}}]]
[[画像:TonamiHeiya Kanjouji.jpg|right|200px|thumb|閑乗寺公園から砺波平野の散居村を望む]]
 
'''砺波平野'''(となみへいや)は、[[富山県]]西部の[[沖積平野]]。[[富山平野]]の南西部の呼称である。富山平野のうち旧[[礪波郡]]にあたる平野部を指す。
 
== 地理 ==
南に[[飛騨高地]]を控え、[[小矢部川]]及び[[庄川]]の[[扇状地]]が発達している。[[村落|散村]]で有名である。なぜ各家が離れているのか諸説があるが、北海道の[[屯田兵]]の村と同じ理由が考えられる。開墾や耕作の作業にはそのまわりに居住していると便利であったためである。「荒れ野の所々に小屋を掛け、用水を引き、開作」と記した古文書が残っている。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期から、[[江戸時代]]中期にかけて砺波平野の水田開拓が進んだのは、[[加賀藩]]の様々な奨励策が奏効したと考えられている。中でも「開墾した田畑は藩主に属すが、開墾した百姓にはその田畑を自前で耕作することを許された」ことが住居が散在した大きい要因と考えられている。散居の各家は「カイニョ」と称する屋敷林を備える。漢字でかくと垣饒(かきにょう)がなまったもので、垣のようにめぐらせた樹木である。これにはいくつかの目的がある。
 
#風雨から家屋を守るため。
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*[[南砺市]]
*[[小矢部市]]
*[[高岡市]](南部西部)
 
== 関連項目 ==