「アルフォンソ1世・デステ」の版間の差分

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[[イタリア戦争]]において、アルフォンソはカンブレー同盟側についた。[[ローマ教皇]][[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]によって司令官に命じられ、ポレセッラの戦いで[[ボローニャ]]を獲得。しかし1510年にユリウス2世に破門され、フェラーラを教皇領にされた。彼は[[ヴェネツィア共和国]]や教皇庁の敵と戦い続け、1512年の[[ラヴェンナの戦い]]では、フランス軍に勝利をもたらす重要な役割を演じた。これらの快進撃は、ラ・ジューリアと名付けられた巨大な大砲を含むフェラーラの兵器がもたらしたとされている。1526年から1527年にかけ、教皇[[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]に対抗した[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]の遠征に参加した。1530年、教皇はアルフォンソの破門を解き、[[モデナ]]と[[レッジョ]]を与えた。
 
父エルコレ1世同様音楽のパトロンであり、[[アントワーヌ・ブリュメル]]や[[アドリアン・ィラー]]を宮廷へ招いた。
 
==家族==
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