「若松勉」の版間の差分

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*プロ入り時、小柄な若松はプロ選手としてやっていく自信がなかった。夫人に「ダメだったら北海道に帰って二人でラーメン屋でもやろう」と言って入団を決意したという。
*プロ入り時、所属していた[[NTT北海道 (野球チーム)|電電北海道]]の応援団からヤクルトの応援団に、応援歌が譲り渡された[http://www3.ocn.ne.jp/~champ/dan/midi.htm#マーチ]。球団間の移籍により応援歌が譲り渡されるケースはごくまれにみられる([[大村直之]]など)が、社会人チーム→プロ野球チームのケースは若松以外にはないものと思われる。
*入団当時の[[三原脩]]監督や[[中西太]]ヘッド兼打撃コーチの指導と本人の猛練習で培われたバットコントロール、ミートの上手さは天才的。[[三振]]が非常に少なく、特に[[1977年]]にはシーズンを通じてわずか14三振という驚異的な数字を残している。野村監督曰く、「軸をブラして打てるのは[[イチロー]]か若松くらい」。なお、[[中日ドラゴンズ|中日]]の[[水原茂]]監督や[[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[川上哲治]]監督(いずれも1971年当時)も若松のバッティングについて高く評価している。
*[[東京]]から実家の北海道へ[[公衆電話]]をかけていたが、当時10円玉しか使えない上、遠距離の通話料も高かった時代、チームの先輩が「電話機を倒すと、10円玉が落ちるスピードが遅くなるぞ」と言った冗談を真に受けて、本当に電話機を横倒しにして通話していたことがある。若松の生真面目な性格を表すエピソードである。
*現役時代の監督であり、ヤクルトを日本一に導いた[[広岡達朗]]を尊敬しており、広岡が球団と対立し監督を辞めた時、「どうして辞めてしまうんですか?」と泣きながら電話してきた唯一人の主力選手といわれる。野村監督の勇退を受けてヤクルト監督に就任した時も、「果たして僕に監督ができるのでしょうか」と広岡に相談している。
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*[[2004年]]プロ野球選手会のストライキ時、球団が減るかもしれないことに危惧して、選手会の署名活動に署名している。
*[[2005年]][[5月28日]]、[[札幌市円山球場]]開場70年記念試合[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]vsヤクルト戦の[[始球式]]で打者として打席に立った。現役監督が公式戦の始球式に参加するのは異例だが、ビジターであったにもかかわらず若松には大声援が送られた。北海道での若松の人気は非常に高く、また[[佐藤真一]]や[[五十嵐亮太]]、[[米野智人]]など北海道に縁のある選手が在籍していたこともあり、年一度[[札幌ドーム]]で開催されるヤクルト主催試合は、巨人戦や[[阪神タイガース|阪神]]戦に次いで多くの観客で埋まっていた(日本ハムの札幌移転と[[日本生命セ・パ交流戦|セ・パ交流戦]]開始に伴い、北海道でのヤクルト主催試合は2004年限りで打ち切られた)。それもあって、日本ハムの次期監督に若松を望むファンの声が高い。
*2005年[[10月14日]]、本拠地[[明治神宮野球場|神宮球場]]でのシーズン最後のい、対横浜試合終了を以って、7シーズンに渡って務めた監督を退任。辞任の記者会見では「'''1度しか日本一になれず申し訳なかった'''」と発言した。これも若松の人柄の象徴であり、退任して野球解説者となった現在でも多くのヤクルトファンに親しまれる理由の一つであろう。試合前に退任セレモニーで選手達による[[胴上げ]]が企画されているのを知り、上記理由により固辞する旨を公言していたが、いざセレモニー終了後、次期監督(捕手兼任)[[古田敦也]]から説得され胴上げを受け入れる。なお、この時の胴上げは腰に負担をかけないように低く、体が回転しない様に足首を押さえながらの胴上げだった。
*小柄で頼りなさそうな外見と、低くて渋い声もあり、隠れた球界の[[マダムキラー]]でもある。
 
== タイトル・表彰・記録 ==
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*3打席連続本塁打(1978年5月6日)
*通算代打本塁打12本(歴代18位タイ)
*通算決勝サヨナラ本塁打8本([[セントラル・リーグ]]タイ記録)
*通算代打決勝サヨナラ本塁打3本(歴代最多タイ)
*2試合連続代打決勝サヨナラ本塁打(1977月6月12日~6月13日 史上2人目)
*1試合11守備機会(1980年9月19日 外野手としての日本記録)
*[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]出場 11回(1972年~1980年、1983年、1984年)
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*オールスター先頭打者本塁打(1973年 史上5人目)
 
== 年度打撃成績 ==
*表中の'''太字'''はリーグ最多数字
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*[[東京ヤクルトスワローズの選手一覧]]
 
{{先代次代|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ監督]]|([[1999年]]~[[2005年]])|[[野村克也]]([[1990年]]~[[1998年]])|[[古田敦也]]([[2006年]]~[[2007年]])~)}}
;※カッコ内は監督在任期間。
{{ヤクルトアトムズ1970年ドラフト指名選手}}