「ホレィシォ・ネルソン・ジャクソン」の版間の差分

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ジャクソンは31歳。自動車に心奪われていた。当時一般にはまだ『単なる流行で金持ちの道楽』と思われていた自動車だったが、ジャクソンはそうは思っていなかった。1903年[[5月18日]]、ジャクソンは[[サンフランシスコ大学]]のクラブにゲストとして招かれていた。そこで彼は自動車が国を横断できるかどうか50ドル(現在の約1000ドル、約十数万円)で賭けをする。ジャクソンはバーサと滞在中に運転の教習を受けていたところだった。彼には十分な自動車の運転の経験はなかった。たどるべき[[地図]]などもちろんなかった。バーリントンの家へは数日後に帰る予定だったのだが、ジャクソンはその賭けにのった。
 
ジャクソンは、同行のメカニック兼ドライバーを探した。まだ若い22歳のセワール・クロッカー(Sewall K. Crocker:1881年-1913年4月22日)を説得し旅の供とする。クロッカーは[[ワシントン州]][[タコマ (ワシントン州)|タコマ]]の生まれで、[[競輪選手]]としてお金を得ていたが、[[カリフォルニア]]に移りジャクソンと出会ったときはガソリンエンジン工場で技術者として働いていた。クロッカーは『[[ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニー]]』の車を使うことを提案。ジャクソンは、かなり使い込まれたウィントンの中古を購入し、ホームタウンの名『バーモント』と名付ける。『バーモント』は20馬力2気筒エンジンを載せた2人乗り[[ツーリングカー]]だった。最高時速30マイル(48キロ)。そして、[[オープンカー]]である。屋根はない。風防もない。もちろんサイドウインドウも。
 
妻に別れを告げ、サンフランシスコの[[パレスホテル]]を発ったのが5月23日。コート、あて布で補強した服一式、[[寝袋]]、毛布、炊事道具、水袋、[[斧]]、[[シャベル]]、[[望遠鏡]]、工具類、スペアパーツ、予備の[[ガソリン]]缶、[[エンジンオイル|オイル]]缶、カメラ、[[ライフル銃]]、[[散弾銃|ショットガン]]、[[ピストル]]、そして150フィート(約46m)の麻縄(ヘンプロープ)が付いた滑車装置(ブロック&タックル)を携帯した。この滑車装置は、溝にはまった時、車を引っ張り出すのにかなり頻繁に使ったという。