「バヤン (メルキト部)」の版間の差分

編集の要約なし
バヤンは元では細々と実施されていた[[科挙]]を廃止したり、[[漢民族|漢族]]を虐殺して人口を減らすことを提案するなど、中国文化を排撃したことで有名である。彼にかわって政権を握った甥のトクトが科挙を復活し、[[欧陽脩]]以来の[[正史]]となる『[[遼史]]』『[[金史]]』『[[宋史]]』の修史事業を行うなど、伯父とは対照的に中国文化に理解の深い為政者であったことから、トクトによるバヤンの追放は高原派と漢地派による対立であったと説明されることも多い。
 
[[Category:モンゴル帝国元朝|はやん、めるきと]]
[[Category:1340年没|はやん、めるきと]]
匿名利用者