「佐々木守」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
12行目:
一方、[[鈴木清順]]の[[日活]]解雇反対運動に参加する中で、やはりこの運動に加わっていた映画評論家の[[松田政男]]、映画監督の[[足立正生]]と[[1968年]]に映画『[[略称・連続射殺魔]]』を制作。[[1970年]]には、この3人にジャズ評論家の[[平岡正明]]、[[相倉久人]]を加えて「批評戦線」を結成し雑誌『[[映画批評]]』を創刊した。
 
大学時代に[[日本共産党]]に入党(数年で離党)した経験から、政治思想的には[[左翼]]のスタンスであり、後年のインタビューなどでも「今でも[[機動隊]]のバスを見かけると怒りがこみ上げて体が熱くなってくるんですよ」「なぜ今の若者は国に怒りを持たないのだろう」等と述懐しているほか、「今の日本の諸悪の根元は[[天皇制]]にあります」等と反皇室思想を明確に表明していた。実際佐々木の代表作「[[お荷物小荷物]]」・「[[アイアンキング]]」には佐々木の反皇室思想が垣間見える。(※ 前者は[[琉球王国]]や[[アイヌ民族]]による逆襲、後者は[[熊襲]]の子孫による逆襲)
 
[[1960年代]]後半においてはいわゆる「[[新左翼]]」に近い立場をとり、[[アイヌ民族]]解放や[[琉球独立運動]]にも支持を寄せていた。