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当初、バーンとともにロイヤル社でフォーミュラ・フォードの設計に関わったが、1979年にバーンが[[フォーミュラ2|F2]]カー設計のため、[[トールマン]]チームから誘われると、バーンが引き上げる形で、シモンズもトールマンでの職を得た。
 
=== トールマン時代(1980年~1985-1985年) ===
1980年のヨーロッパF2選手権において、トールマンと[[ハート (F1)|ハート]]の組み合わせは戦闘力を発揮し、ドライバーの[[ブライアン・ヘントン]]と[[デレック・ワーウィック]]は計4戦で1-2フィニッシュを達成し、ヘントンはチャンピオンを獲得した。シモンズは、この年は研究開発部門のスタッフとして関与した。
 
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翌1982年以降は、フルタイムでF1に関わるようになり、1982年に[[テオ・ファビ]]とワーウィック、翌1983年には[[ブルーノ・ジャコメリ]]、1984年にはその年デビューの新人[[アイルトン・セナ]]のレースエンジニアとして任にあたった。
 
=== ベネトン&ルノー時代(1986年~)-) ===
==== ミハエル・シューマッハ加入以前 ====
1985年には、チームは、イタリアの衣料品メーカー[[ベネトン]]に買収されたことにより、[[ベネトン・フォーミュラ1|ベネトン]]となったが、シモンズは引き続き残留した。
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==== ミハエル・シューマッハとの共闘 ====
ベネトンに復帰したシモンズは、研究開発部門に戻りチーフとして統括するとともに、[[ミハエル・シューマッハ]]のレースエンジニアも務め、1994年と1995年のシューマッハのドライバーズタイトル獲得に貢献した。翌1996年にシューマッハは[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]へと移籍していき、その後を追う形で、長年を共にしてきたロリー・バーンがベネトンを去っていったが、シモンズはその後もベネトンに残り、バーン同様にチームを去った[[ロス・ブラウン]]の跡を受けて、1996年11月にテクニカルディレクターに就任した。
 
==== ミハエル・シューマッハ離脱後 ====
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== 評価 ==
ロス・ブラウンの影に隠れがちだが、シモンズもミハエル・シューマッハのベネトン在籍時からレース戦略の立案に関わっており、レース戦略の分野で一定の評価がある人物の一人である。実際、ブラウンらの離脱後も、ベネトン、ルノーはしばしばその優れた作戦によって他チームに対して優位に立っている。
{{ルノーF1}}
 
[[Category:F1関係者|しもんす, はつと]]
[[Category:1953年生|しもんす, はつと]]
 
[[de:Pat Symonds]]