「第2次田中角栄内閣 (第2次改造)」の版間の差分

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'''第2次田中角榮内閣第2次改造内閣'''('''だい2じたなかかくえいないかくだい2じかいぞうないかく''')は、[[1974年]][[11月11日]]に第65代[[内閣総理大臣]]・[[田中角栄]]によって[[内閣改造|改造]]された[[内閣]]である。
 
内閣改造を行ったが、直後に田中金脈問題が発生したため、改造して15日後に田中首相が退陣を表明した。改造して28日後の[[12月9日]]に田中内閣は総辞職となった。これは改造後の退陣表明・総辞職の最短記録である
 
29日間しか存続しなかった内閣のため、短期間しか閣僚を経験していない議員も出てきた。[[江藤智 (政治家)|江藤智]]運輸相や[[鹿島俊雄]]郵政相や[[大久保武雄]]労働相や[[毛利松平]]環境庁長官はこの内閣で初入閣したが、内閣総辞職後に離任となり再入閣することがなかったため、4人はわずか29日間しか閣僚を経験することができなかった。