「張邈」の版間の差分

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若い頃から男伊達で気前がよく、[[曹操]]や[[袁紹]]とも親友のように仲が良かった。袁紹とは、「奔走の友」と呼ばれる契りを結び、曹操とは、互いが死んだ時に家族の面倒を見る事を約束するほどに仲が良かったと言われている。頭脳の明晰さと徳行で官界に知られるようになり、後漢王朝に仕えて騎都尉を務めた後、陳留郡の太守となった。
 
袁紹を盟主として[[董卓]]を討つ連合軍が結成された時、張邈は、曹操らとともに連合軍の第六鎮として参戦した。この時、袁紹が、董卓を討つべく集まった諸侯に対して奢ったふるまいを見せた事があった。張邈は袁紹に、己の振る舞いを改めるよう諫めたが、逆に袁紹の怒りを買って殺されそうになる。また、後に[[李カク|李<font {{lang="|zh">|</font>}}]]に敗れて落ち延びてきた[[呂布]]と親交を結ぶのだが、それが原因で袁紹の不興を買ってしまう。以前に袁紹と呂布とは諍いを起こしており、呂布が張邈の下に逗留していたのは、袁紹によって厄介払いされたものが転がり込んでいた為である。
 
いずれの時も、曹操が袁紹にとりなしたため、危うく難を逃れている。
翌[[196年]]、雍丘は曹操軍の攻撃によって陥落。張超は焼身自殺し、張邈の三族(父母・兄弟・実子と養子)も、曹操によって皆殺しの刑に処せられた。
 
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