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=== 地方競馬 ===
地方競馬でも地域ごとに優秀競走馬選定を目的としたクラシック競走は行われており、近年はこれらの優勝馬と中央競馬のダート路線の優秀な3歳馬を集め、[[大井競馬場]]の[[ジャパンダートダービー]]で頂点を決するという競走体系の整備も行われている他、[[サラブレッド]]以外の[[アングロアラブ]]競走や[[ばんえい競走]]においても三冠競走が存在する。
 
=== 中央競馬 ===
中央競馬では、イギリスを模範として創設された
* [[桜花賞]](1000ギニー相当)
* [[皐月賞]](2000ギニー相当)
* [[優駿牝馬]](副称オークス。英オークス相当)、
* [[東京優駿]](副称日本ダービー。英ダービー相当)
* [[菊花賞]](セントレジャー相当)
の5競走をクラシックと称している。また戦時中の1944年には馬券発売が禁止されたので、軍用馬・繁殖馬選定の為の[[能力検定競走]]という形で開催された競走もある。現在は[[日本中央競馬会]]が開催している。なお、各競走の優勝馬には[[内閣総理大臣]]賞が贈られる。
 
その中で皐月賞、東京優駿、菊花賞の3競走を全て優勝した馬を三冠馬と呼ぶ。桜花賞、優駿牝馬とクラシック競走ではないが[[秋華賞]]の3競走を全て優勝した馬を牝馬三冠馬と呼ぶ。
 
==== 中央競馬のクラシックロード ====
中央競馬のクラシック競走は予め2歳(旧3歳)の時に「クラシック出走登録」を届け出ないと出走することができなかったが、現在は3歳(旧4歳)のクラシック競走開催直前での追加登録が認められるようになった。また[[2000年]]までは生産者保護の観点上[[外国産馬]]のクラシック(他に[[天皇賞]]を含む)の出走も認められていなかったが、[[2004年]]の[[桜花賞]]をもって全ての[[競馬の競走格付け|GI級]]競走への外国産馬の出走が可能になった。
 
この制度変更のきっかけを作ったのは、[[1977年]]の[[マルゼンスキー]]と[[1988年]]の[[オグリキャップ]]であるとされる。共に当時の制度の為にクラシックに出走がかなわぬ身で(前者は外国産馬と同じ扱いを受けていた時期の[[持込馬]]、後者は地方競馬出身のため2歳時のクラシック出走登録なし)、本来ならば裏街道と評される競走や古馬相手の競走を圧倒的な強さで連戦連勝、これらの馬の陰にその年のクラシック競走に挑む馬たちが霞んでしまい『敗者復活戦』と揶揄される盛り上がりに欠ける状況となり、中央競馬会がマスコミや競馬ファンから大きな批判を受けた事と、これらが馬券の売上面においても芳しくない影響を及ぼした為である{{要出典}}。
 
特に東京優駿への出走は中央競馬関係者全ての夢でもあり目標でもあり、東京優駿までのトライアル路線は活況を呈している。だがその思い入れが強いがゆえに、距離適性やローテーションを度外視された使い方でつぶされてしまった競走馬も少なくなく、東京優駿が現役最後のレースになってしまった馬は古今枚挙に暇がない。このようなクラシックディスタンスを適性外とする馬の中から、[[ニホンピロウイナー]]、[[ダイタクヘリオス]]、[[サクラバクシンオー]]などの活躍馬が生まれ、「クラシック路線や[[グランプリ (競馬)|グランプリ]]路線だけが競馬ではない」という考え方も生まれてきた。短距離路線の拡充も叫ばれ、[[1996年]]に[[NHKマイルカップ]]の新設へと繋がった。近年では[[キングカメハメハ]]や[[ラインクラフト]]などの変則2冠馬も誕生し、クラシックロードにも新しい選択肢が定着しつつある。
 
*[[三冠 (競馬)]]の項も参照
 
==== 中央競馬クラシックの親子制覇 ====
日本では以下の馬が親子でクラシック制覇を成し遂げている(親子三代制覇以上のみ掲載。二代はここでは割愛する)
 
*親子四代クラシック制覇
**[[アグネスレディー]](優駿牝馬)- [[アグネスフローラ]](桜花賞)- [[アグネスタキオン]](皐月賞)- [[ダイワスカーレット]](桜花賞)
***アグネスフローラは他に[[アグネスフライト]](東京優駿)も輩出。
*親子三代クラシック制覇
**[[ベガ (競走馬)|ベガ]](桜花賞・優駿牝馬)- [[アドマイヤベガ]](東京優駿)- [[キストゥヘヴン]](桜花賞)
 
==== 西暦末尾が7の年のクラシック世代の不幸説 ====
一時期、競馬[[マスコミ]]などで、「'''西暦末尾が7の年のクラシック戦線の牡馬たちは不幸の世代になる'''」と、[[ジンクス]]の様に語られた事がある。ただし、何を不幸と定義するかは必ずしも定かでないし、統計的に有意にその世代に不幸な馬が集中していると証明されているわけでもない。
 
因みに、日本でクラシックレースが始まって以降、西暦末尾が7の年のクラシック世代の牡馬は下記の様な状況である。
 
※年齢表記は「1997年組」までは旧表記とする。
 
*[[1937年]]組
:クラシック体系が整っていなかったこの時代、牝馬初の東京優駿大競走勝ち馬・[[ヒサトモ]]が誕生。しかも、2着も牝馬・サンダーランドで現在まで唯一の東京優駿における牝馬ワンツーと言う、牡馬勢にとっては屈辱的結果に終わった(尤も、秋の第1回[[天皇賞|帝室御賞典]]では東京優駿大競走12着の[[ハツピーマイト]]が借りを返している)。だが、戦争の動乱に巻き込まれたヒサトモは繁殖牝馬失敗の烙印を押されただけで無く、食い扶持を稼ぐ為に現役復帰した地方競馬で過労死すると言う悲劇に巻き込まれる。
:因みに、この頃は馬資源増強が重要視されていた為に繁殖能力に支障が無ければ牝馬は冷遇されなかったが、牡馬は血統に問題が有ると成績如何に関わらず戦場送りにされる例が多かった(代表例:[[カイソウ]])。
 
*[[1947年]]組
:この年は、戦後の競馬復興期において、クラシック競走体系が完全復活した年であるが、皐月賞を[[トキツカゼ]]・菊花賞を[[ブラウニー (競走馬)|ブラウニー]]と牝馬が制し、東京優駿競走もその2頭が[[マツミドリ]]の2着・3着入線と牡馬不遇の年であった。しかも、引退後はトキツカゼこそ2頭の[[JRA賞|年度代表馬]]輩出で気を吐くものの、マツミドリは[[馬伝染性貧血|伝貧]]騒動に巻き込まれて代表産駒を残す事無く殺処分、ブラウニーも[[サラブレッド系種|サラ系]]故に後継馬を出せずに終わっている。
:因みに、この3頭以外の八大競走勝ち馬に[[シーマー]]がいる。競走馬成績こそブービー人気の天皇賞(春)以外の戦果は無いものの、2頭の八大競走勝ち馬([[ダイナナホウシユウ]]・[[タカオー]])を輩出し菊花賞5着敗退の雪辱を果たしている。
 
*[[1957年]]組
:この年は1977年と同様の事態であった。同い年の馬ではあるが、[[アングロアラブ|アラブ]]の怪物と呼ばれた[[セイユウ]]が大活躍、アラブ相手に重賞・[[読売カップ|読売カップ(春)]]を含む15連勝、更には[[サラブレッド]]に挑戦し、[[七夕賞]]・[[福島記念]](現在は重賞として施行されるが、当時は両者共にオープン競走)と勝利、更に[[セントライト記念]]では東京優駿3着の[[ギンヨク]]・[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]2着の[[ラプソデー]]など[[菊花賞]]を目指す有力馬たちを撃破。菊花賞ではセイユウに敗れたラプソデーが優勝した事から、'''「菊花賞馬よりも強いアラブがいる」'''という事になってしまい、ラプソデー・[[ミスオンワード]](1番人気で挑んだ菊花賞を10着敗退した、この年の最優秀4歳牝馬)よりも上に事実上の4歳最強としてアングロアラブのセイユウが君臨するという状態になってしまった。さらにラプソデーは翌年の秋、休養のために滞在していた[[伊豆]]の[[大仁温泉]]の牧場で[[狩野川台風]]の直撃を受け、大雨による[[鉄砲水]]に巻き込まれ、一命こそ取り留めたものの競走馬としては引退に追い込まれた。
:この事態は引退後の繁殖成績でも同様で、牡馬では全盛期には200頭を超える種付け件数を誇ったセイユウに勝てる馬は居らず、牝馬もクラシック未出走の[[キタノヒカリ]](サラ系)が[[優駿牝馬|オークス]]馬・[[アイテイオー]]を輩出すると言うミスオンワードを超える成功を収めている。
:因みに、この世代のクラシック組に東京優駿勝ち馬[[ヒカルメイジ]]がいる。東京優駿以降は長期休養明け後のオープン戦2戦2勝のみで重賞未勝利だが、種牡馬として成功し30歳まで長生きとあまり不幸には見舞われていない。但し、ヒカルメイジはマルゼンスキーと同じ[[持込馬]](ミスオンワードも同様である)であった事を考えると、結局1977年と似た様な構図であった事には変わり無いと言えよう。
 
*[[1967年]]組
:3歳時にクラシック有望と言われた有力馬が皐月賞を前に故障で次々と戦線離脱、クラシック戦線はサバイバルの様相を呈したが、出走馬のレベルそのものは非常に凡庸と言われた。
:しかも、春闘で馬丁(現在でいう厩務員)の[[労働組合]]が[[ストライキ]]を繰り返し、レース日程が大幅に狂わされ、有力馬にも体調を崩す馬が続出する。これにより順延となった[[皐月賞]]、[[桜花賞]]が、[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]と同日の開催となり、さらにそこから中1週で土曜日に優駿牝馬、翌日曜に東京優駿を開催するという強行日程になるなど、この世代のクラシック競走は日本近代競馬史上最悪といわれる大混乱に陥った。この世代における混乱振りを最も象徴するのが、その頂点たる東京優駿馬[[アサデンコウ]]で、東京優駿レース中に重度の骨折を負って馬運車でターフから運び出され、その後二度とターフに戻る事は無かった。
:また、秋になってもセントライト記念を制して菊花賞戦線の最有力馬に躍り出た3歳チャンピオンの[[モンタサン]]が飼料に付着していた[[農薬]]により中毒に倒れ菊花賞出走を断念、[[社台ファーム]]が種牡馬にする為に手に入れた持込馬・[[フイニイ]]が現役中に急逝する等、その後もこの世代にはアクシデントが尽きなかった。
 
*[[1977年]]組
:マルゼンスキーの影に牡馬クラシック競走は存在そのものが霞んでしまった'''悲運の世代'''。その上牝馬クラシック路線では前年の[[TTG]]3強になぞらえた牝馬3強([[インターグロリア]]・[[リニアクイン]]・[[アイノクレスピン]])が活躍、優駿牝馬の勝ち時計が東京優駿の勝ち時計を0.6秒も上回り、[[神戸新聞杯]]には優駿牝馬1・2着のリニアクイン、アイノクレスピンが出走してきて菊花賞を目指す牡馬を圧倒した。また、暮れの有馬記念に出走した菊花賞馬[[プレストウコウ]]はTTGの前に全く存在感を示せず([[第22回有馬記念]]を参照)、牡馬クラシック路線は最後までさえなかった。
:5歳になってから[[カネミノブ]]が有馬記念を、[[テンメイ]]が[[天皇賞#天皇賞 (秋)|天皇賞 (秋)]]を制したが、どちらも穴人気での勝利だったため大して評価されず、カネミノブは8歳まで走り続けた後引退したが不本意な結果に終わった種牡馬生活引退後は行方不明、テンメイは天皇賞馬でありながら引退後種牡馬としての引き合いが無く[[水沢競馬場]]で現役を続ける羽目になった。
:引退後の戦績もマルゼンスキーに劣る馬が殆どで、東京優駿馬[[ラッキールーラ]]は結果的にマルゼンスキーと直接の対決が無く、机上の比較で異常に低く貶められた事も一因となって種牡馬として国内では不成功に終わり、[[ラジオNIKKEI賞|日本短波賞]]でマルゼンスキーに完敗したプレストウコウ共々、晩年には[[大韓民国|韓国]]送りになった。皐月賞馬[[ハードバージ]]に至ってはやはり種牡馬として失敗し後に乗馬、さらにはショーホースや馬車馬という使役馬に転用され、最後は[[熱射病]]で命を落とすという悲惨な最期を遂げている。また、インターグロリアを筆頭に競馬場では華々しい活躍を見せた牝馬3強も繁殖牝馬としては重賞勝ち馬を一頭も出せなかった。
:ハードバージ・ラッキールーラ・プレストウコウの末路は、'''「[[マルゼンスキー]]の影に消えた悲運のクラシックホース」'''として、この種のジンクスの話題を語る際にはもっとも象徴的なものといえる。
 
*[[1987年]]組
:皐月賞上位3頭([[サクラスターオー]]・[[ゴールドシチー]]・[[マティリアル]])の生涯に象徴され、他にも多くの馬が競馬場内外での事故により若くしてこの世を去っていることあり、もはや'''悲劇の世代'''とまで呼ばれる([[サクラスターオー#悲劇の世代|サクラスターオー]]を参照)。また、アクシデントに遭遇しなかった[[メリーナイス]]も、東京優駿制覇後はパッとせず、有馬記念ではスタート直後騎手を振り落とし、ラストランとなった[[函館記念]]では、1歳下の[[サッカーボーイ]]のレコード駆けに見せ場すら作れず5馬身差の2着と完敗している。しかも、世代最強の座はクラシック不出走の[[タマモクロス]]・[[イナリワン]]に奪われてしまう。
:またこの世代も1977年組と同じように、牝馬クラシック路線に当時史上最強と呼ばれた二冠牝馬[[マックスビューティ]]が登場、神戸新聞杯で圧勝を収め、牡馬たちの顔色を無からしめている。
:'''因みに、1977年世代の東京優駿馬ラッキールーラ産駒唯一の中央重賞勝ち馬のトチノルーラーもこの世代である。'''
 
*[[1997年]]組
:中央競馬は[[外国産馬]](マル外)の全盛期で、[[顕彰馬]][[タイキシャトル]]、日本調教馬による初の海外GI制覇を成し遂げた[[シーキングザパール]]を輩出、日本競馬に画期的な成果を残した世代だが、クラシックにはまだ外国産馬が出られず、戦前に期待を集めたのは[[メジロライアン]]の息子[[メジロブライト]]と[[ランニングフリー]]の息子[[ランニングゲイル]]の[[父内国産馬]]、4歳デビューながら調教で驚異的なパフォーマンスを見せていた[[サイレンススズカ]]、[[ロジータ]]の仔[[オースミサンデー]]らだった。しかし彼らはいずれもクラシック無冠に終わり、オースミサンデーに至ってはクラシック初戦の皐月賞で骨折、安楽死処分となっている。
:結局クラシック本番では戦前には頼りない逃げ馬と見られていた[[サニーブライアン]]が皐月賞・東京優駿を堂々の逃げ切り、菊花賞は上がり馬の[[マチカネフクキタル]]が制した。さらにこの年は4歳馬が大活躍、[[マイルチャンピオンシップ]]はタイキシャトルと桜花賞馬[[キョウエイマーチ]]の4歳馬ワンツー、有馬記念も4歳馬[[シルクジャスティス]]が制するなど、サニーブライアンが東京優駿後故障して戦線離脱を余儀なくされた事以外は、この世代には不幸の影はそれほど感じられなかった。しかし5歳に入ってから、次々と不幸が降りかかる。
:まずクラシック戦線で健闘していた[[エリモダンディー]]が、[[日経新春杯]]を制して天皇賞戦線の中心に躍り出た途端に急死、同厩舎で仲が良かったとされるシルクジャスティスはショックを受けたのか、それ以降は精彩を失い1勝も出来ぬまま引退。二冠馬サニーブライアンも復帰目指した過程で今度は屈腱炎を発祥、結局は東京優駿後はターフに戻る事が無いままに引退。マチカネフクキタルも古馬になってからは不振に陥り未勝利。そして古馬になってから潜在能力を完全開花させて無敵の逃げ馬へと成長し、「いずれは世界制覇」「この馬には絶対がある」とまで言われるようになったサイレンススズカが秋の天皇賞で骨折、安楽死処分となったことは競馬ファンのみならず競馬界全体に大きなショックを与えた。
:また、無事引退した馬でも、メジロブライトは受胎率が悪くあまり産駒を残せないまま早逝、シーキングザパールはアメリカで繁殖牝馬になったが落雷に遭って死亡等、引退後に不幸に見舞われた馬もいる。
 
*[[2007年]]組
:2歳チャンピオンの[[ドリームジャーニー]]、[[共同通信杯]]を勝った[[フサイチホウオー]]、弥生賞を勝った[[アドマイヤオーラ]]、三冠馬[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の弟[[ニュービギニング]]など多くの馬が期待を集め、当初より群雄割拠の混戦ムードが根強かったが、同世代の牝馬との比較で大物感が漂う牡馬が少ない、さらには凡庸という評価もまた多かった。
:皐月賞では[[若葉ステークス]]を勝った[[ヴィクトリー (競走馬)|ヴィクトリー]]と[[京成杯]]馬[[サンツェッペリン]]の前残りを許し、三連単馬券は皐月賞史上最高配当となったが、かえって混戦ムードに拍車が掛かり、そこへ2歳牝馬チャンピオンの[[ウオッカ]]が東京優駿戦線への参戦を表明した為、これを東京優駿の本命として推す者も少なくなかった。
:しかも東京優駿ではそのウオッカに'''[[クリフジ]]以来64年ぶりとなる牝馬による制覇'''を許してしまう。3馬身離された2着には、逃げ粘っていた[[きさらぎ賞]]馬[[アサクサキングス]]が入ったことで、三連単馬券はクラシック史上最高配当を更新する波乱だった。因みに、1番人気のフサイチホウオーは7着に敗れたが、ダービーで1番人気が連(2着以内)を外したのは、奇しくも1997年以来(メジロブライトの3着)となった。牡馬陣は結果のみならず内容面でも完全に圧倒される有様であり、その上3着に入ったアドマイヤオーラはレース後骨折が判明、長期離脱を余儀なくされている。
:他方、賞金不足による東京優駿除外を受けての出走となった[[目黒記念]] で、51キロの軽ハンデながらも昨年の[[メルボルンカップ]]2着馬[[ポップロック]]の首差2着と健闘し、父に[[マンハッタンカフェ]]を持つ血統背景から菊花賞戦線の主役に躍り出るかと思われた[[ココナッツパンチ]]も、レース後に骨折が判明し、菊花賞は絶望となってしまった。
:更に、二世代前には三冠馬ディープインパクト、前世代では二冠馬[[メイショウサムソン]]と二冠牝馬[[カワカミプリンセス]]が誕生していた事を考慮に入れると、現状では『ジンクス』がはっきりと現実のものになってきている雰囲気が感じられる。
:また、日本競馬の中核を成していた大種牡馬[[サンデーサイレンス]]の直仔がいなくなった初めての世代であり、それ以前の世代との比較で、古馬との対戦になった際の世代全体のレベルについて不安視する声も少なくない。
 
[[Category:競走馬|くらしつく]]