「ゴーカイ」の版間の差分

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== 戦跡 ==
[[新潟競馬場]]の未出走でデビューしたゴーカイは、3戦目で勝ちあがる。しかしその後約2年にわたり、500万下条件で勝てずにいた。そんなゴーカイは、6歳初頭に障害に転向する。初障害戦、2戦目は着外に敗れたが、3戦目の外国障害騎手招待競走で、アンヌ・ソフィ・マドレーヌ騎手の好騎乗で7番人気ながら2着に好走する。4戦目で障害未勝利を脱出すると、福島ジャンプステークスでオープン勝ちを決める。その年の秋には[[東京オータムジャンプ]]を勝って大一番の中山大障害に臨むが、平地[[重賞]]勝利経験も持つ[[ゴッドスピード]]のハナ差2着に敗れる。
 
翌[[2000年]]は春麗ジャンプステークスから[[中山グランドジャンプ]]を含む4連続連対、秋には[[イルミネーションジャンプステークス]]3着の後中山大障害に臨むが、[[ランドパワー (競走馬)|ランドパワー]]の2着に屈する。しかしこの活躍が認められ、[[JRA賞]]最優秀障害馬]]に選出された。8歳になった[[2001年]]も中山グランドジャンプを史上初の連覇で勝利。そして前年同様イルミネーションジャンプステークスを叩いて、三度目の正直での中山大障害制覇を狙うが、半弟ユウフヨウホウの最低人気を覆す大激走に屈し、またしても2着になる。しかし2年連続で最優秀障害馬に選出される。
 
[[2002年]]、3連覇を狙った中山グランドジャンプでは、[[オーストラリア]]の強豪[[セントスティーヴン]]の前に1と1/2馬身差の2着に敗れる。[[東京ハイジャンプ]]3着の後、調教中に骨折を発症。年齢も高かったために引退することとなった。