「河野洋平」の版間の差分

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[[2006年]]、大勇会会長の座を麻生太郎に譲ることを決め、12月15日、同会を解散した。
 
マスコミへの対応は紳士的で、演説も巧みであるが、父・河野一郎ほどの政治力はないとの評価が一般的である。その昔、保利茂から「バックネット裏でなく、グラウンドにおりてやるように」と評論家的発言をたしなめられたという。若手政治家が離れていくのは面倒見が悪いからだともいわれている。[[文芸評論家]]の[[福田和也]]からは「彼ほど誉められた事が無い政治かも見たことが無い。脳ミソは[[ダンゴ虫]]より小さいのでは」と酷評されている。
 
父[[河野一郎]]、叔父[[河野謙三]]も会長を務めていた[[日本陸上競技連盟]]会長を務めている。年初に開催される[[箱根駅伝]]では、往路のゴールにて自身の出身校である早稲田大学の選手の到着を待っている姿がしばしば目撃される。