「時津海正博」の版間の差分

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==来歴==
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農家の二男に生まれ、父の影響で2・3歳位の時から宮相撲に出場した。小学校では野球、中学校では柔道をやっていたが、部員が足りず休部状態に陥っていた相撲部を再興し、自宅の倉庫を稽古場に改造し、相撲を続けた。[[長崎県立諫早農業高等学校]]では相撲に専念し、[[東京農業大学]]でも活躍した。しかし、4年生の時は企業に就職しようと考え、印刷会社の試験に合格し、また父から[[アマチュア相撲]]の強豪である[[和歌山県]]庁への就職も勧められたが、アマチュアよりプロで取るほうがいいと言う本人の意志で時津風部屋に入門した。
 
[[1998年]]9月場所新入幕。以降[[2005年]]5月場所まで41場所連続で幕内の地位を維持し続けたが、2005年5月場所は西前頭12枚目で3勝12敗と大負けし、翌7月場所は1998年7月場所以来、42場所ぶりに十両に陥落した。その場所は西十両3枚目で11勝4敗で2回目の十両優勝を果たし、1場所で幕内に戻ってきたが、翌9月場所は西前頭14枚目で4勝11敗と負け越し、再び十両に陥落した。