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'''斯波 兼頼'''(しば かねより [[1315年]]-[[1379年]]([[康暦]]元年)[[1月18日]])は[[奥州探題]][[斯波家兼]]の次男である。[[南北朝時代 (日本)|南北朝の争い]]のとき[[出羽|出羽地方]]の[[北朝 (日本)|北朝]]方として[[南朝 (日本)|南朝]]方(寒河江大江氏、山家氏など)の抵抗を抑えるために、[[羽州探題]]として[[羽前国]]山形に入部し今の[[山形城]]の基となる城を築いた。後の子孫は、[[最上氏]]と名乗り以後、最上氏が徳川幕府によって[[改易]]されるまで、今の、[[山形県]]内陸部の[[米沢市|米沢地方]]を除く、[[村山地方]]、[[最上地方]]を支配した。
 
また、[[越前国]]に逃れた[[新田義貞]]とも父家兼、伯父[[斯波高経]]とともに戦い、彼の配下が義貞を討ち取ったと言われている。源氏累代の名刀、[[鬼切]]が彼の手に渡り最上氏の[[家宝]]となった。
 
== 関連項目 ==