「マシュー・カーター」の版間の差分

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[[1956年]]に[[オランダ]]の活字鋳造所 [[:nl:Joh. Enschedé|Joh. Enschedé]] で Paul H. Rädisch に[[:en:Punchcutting|パンチカット]]術を学ぶ。[[1957年]]にロンドンに戻り、[[1963年]]に写真植字機販売会社クロスフィールド・エレクトロニクス社にタイポグラフィのコンサルタントとして入社。[[1965年]]に[[ニューヨーク]]へ移住し、[[ライノタイプ・ライブラリ|マーゲンターラー・ライノタイプ]]社へ入社。ライノタイプ社の下[[AT&T|ベル電話会社]]に提供した書体 Bell Centennial は、[[:en:Bell Gothic|Bell Gothic]] という書体をベースに文字が小さくインクのにじみやすい電話帳でも字がにじまないようデザインされている。
 
[[1981年]]、同僚のマイク・パーカーとともに[[:en:Bitstream Inc.|ビットストリーム]]社を設立。[[1991年]]に退社し、シェリー・コーンと共にカーター&コーン・タイプ社を設立。カーターは書体の可読性改善することに尽力し、[[アップルコンピュータ]]と[[マイクロソフト]]に数多くの書体を提供した。中でも Georgia と Verdana の2書体は、コンピュータスクリーン上での使用を前提特化設計されたフォントである。また、カーターは[[タイム (雑誌)|タイム]]、[[ワシントン・ポスト]]、[[ニューヨーク・タイムズ]]、[[ボストン・グローブ]]、[[WIRED (雑誌)|WIRED]]、[[ニューズウィーク]]といった雑誌出版社にも書体を提供した。
 
== 作品 ==