「歓喜力行団」の版間の差分

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[[Image:kdf_axb01.jpg|thumb|200px|right|歓喜力行団主催の[[ヴォードヴィル|ヴァリエテ]]の開催案内]]
 
'''歓喜力行団'''(かんきりっこうだん、ドイツ語:'''Kraft durch Freude'''(喜びを通じて力を)、略称 '''KdF''' )は、[[ナチス・ドイツ]]において国民に多様な余暇活動を提供した組織である。[[ロベルト・ライ]]率いる[[ドイツ労働戦線]]([[:en:German Labour Front|Deutsche Arbeiterfront]])の下部組織として、国家の管理のもと[[旅行]]・[[スポーツ]]・[[コンサート]]・祝祭典などを企画した。その活動は国民的人気を博したが、国民をレジャー活動を通してひとつにまとめ、ナチスの理想を行き渡らせナチスへの忠誠心を高めることが目的だった。
 
== 活動 ==
 
[[Image:ProraSeeseite.jpg|thumb|250px|right|[[リューゲン島]]の[[プローラ]]に建設された巨大な保養施設]]
歓喜力行団はただの娯楽組織ではない。歓喜力行団の究極の目的は、余暇活動をあらゆる大衆に格差なく提供し、[[階級]]ごとに分断されたドイツ人を[[階級闘争|階級対立]]のないひとつの「民族共同体」にまとめる橋渡しをすることであった。また「生の喜び」を肯定する余暇、スポーツ、演奏会、祭典などの機会を国民に提供することで、ナチスの理想とする力強さや美しさといった共同体の理念や存在を大衆に全身で理解させ信じさせようというものだった。
 
国民的余暇組織のアイデアは[[イタリア]]の[[ファシスト党]]の'''ドーポラボーロ'''(Dopolavoro、正式名称:全国余暇事業団 Opera nazionale dopolavoro、「仕事の後の余暇」を通じて労働者を[[ファシズム]]に親しませる組織)から借りたが、歓喜力行団はその活動を職場単位にまで拡張した。歓喜力行団は提供する活動を増やし、大衆の人気を博してドイツ最大級の組織となった。[[1939年]]までに7,000人の職員と135,000人の[[ボランティア]]が歓喜力行団のために働き、スポーツ、[[生涯学習]]、旅行、夕べの催しなどを管轄する部局に分かれていた。20人以上の労働者のいる工場にはすべて歓喜力行団の委員がいた。ある推計では、1939年までに2500万人以上が活動に参加したとされている。歓喜力行団は[[1939年]]にこれらの国民的活動をたたえられ、[[国際オリンピック委員会]]からオリンピック・カップを贈られた。[http://www.olympic-museum.de/awards/olympic_cup.htm]
 
== 歓喜力行団の車(KdF-Wagen) ==
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