「ノート:かわいがり」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Jyb (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
17行目:
「特別に厳しく鍛えるはいじめの範囲に入らないという理論は『現在は』通用しないと思います」と書かれているということは過去にはその理論が通用した、という揚げ足取りはさておき,常にスポーツ界や特別な技能を必要とする世界では体力や技能の向上には苦痛を伴う鍛錬が必要だったのは否定できないと思います。相撲界でのその鍛錬がかわいがりと呼ばれるもので、それは希望して相撲界に入った者にだけ行われるものであり,出世した力士は全てそれを経験している,その成果があの大相撲というパフォーマンスに現れている,ということです。今回の事件によりいままで隠れていた面が露わになる,ということは避けられないでしょう。ただ、大相撲という特殊な世界が普通の世界に変質してしまうことがよいことなのかどうか,というのには疑問があります。警察が及び腰なのもその部分が関わっているように思います。--[[利用者:Yuchy|yuchy]] 2007年10月10日 (水) 15:29 (UTC)
::揚げ足の揚げ足になりますが現在通用しないというのは、ハラスメントにしても昔はそのような概念がなかったからです。体罰にしても昔は愛の鞭と呼ばれていました。今は文部科学省で体罰として扱われています。苦痛を伴う鍛錬ですが、あれは運動による苦痛です。竹刀で叩かれたり、よってたかってなぶられる苦痛ではありません。「ただ、大相撲という特殊な世界が普通の世界に変質してしまうことがよいことなのかどうか,というのには疑問があります。」はyuchyさんの意見であってwikipediaに載せるには適当でないと思います。wikipediaはあくまで客観的事実を書くところです。また警察が及び腰かどうかは憶測に過ぎません。警察が捜査を打ち切ったという報道は今の所ありません。--[[利用者:Jyb|Jyb]] 2007年10月10日 (水) 21:11 (UTC)
 
 大相撲界での力士の鍛え方の一つの形として「かわいがり」があったわけで,それが全て今回の事件のように行われたわけではない,ということです。いくら同じような苦痛が与えられたとしても,それを肯定的に受け止めているか,否定的に受け止めているかの問題であり,「かわいがり」全てを虐待であり,いじめである,という表現をするべきではない(もちろんそういう観点があることを書くことは問題ないですが),ということです。他の関連記事でも提案されていますが,今回の事件は別項として扱い,この「かわいがる」も歴史的に行われてきたことを記すべきだと思います。--[[利用者:Yuchy|yuchy]] 2007年10月13日 (土) 08:10 (UTC)
ページ「かわいがり」に戻る。