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両者の思惑が一致し、「'''ドイツの自由と、スウェーデンへの感謝'''」のスローガンが掲げられ、無き王グスタフ・アドルフの名において、プロテスタント諸侯が結集した。これは、スウェーデンの[[宰相]][[アクセル・オクセンシェルナ|オクセンシェルナ]]の手腕に負うところが大きかった。
ところが、この同盟締結に[[フランス王国|フランス]]と[[ザクセン公国|ザクセン公]]が反発した。フランスの宰相[[リシュリュー]]は、ハイルブロンに使者を送り、オクセンシェルナを脅し、強引に盟主を替えさせた。
このように、ハイルブロン同盟は成立当初から危機を内包していたのである。ベルンハルトは、後に[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]と和解し、[[プラハ条約_(1635年)|プラハ条約]]に署名したり、フランス軍の指揮官となるなど、スウェーデンとプロテスタント諸侯を振り回すことになる。
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