「マルグリット・ド・ヴァロワ (曖昧さ回避)」の版間の差分

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以下のケースは、生まれつき「フランス(王)の娘」(''Fille de France'')であって、正当に「ド・フランス」(de France)を名乗る資格があるため不正確なものではあるが、「ド・ヴァロワ」を冠しても通用するケースである。
 
* [[マルグリット・ド・フランス(1523_(1523 - 1574年)]]またはマルグリット・ド・ヴァロワ - [[フランソワ1世_(フランス王)|フランソワ1世]]と[[クロード・ド・フランス]]の娘。1559年に[[サヴォイア公国|サヴォイア]]公[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]と結婚した。
 
* マルグリット・ド・フランス(1553年 - 1615年) - 本来の資格とは裏腹に一般に[[マルグリット・ド・ヴァロワ]]またはマルゴ王妃の名で通用する人物。[[アンリ2世_(フランス王)|アンリ2世]]と[[カトリーヌ・ド・メディシス]]の娘。1572年にナバラ王アンリ3世(後のフランス王[[アンリ4世_(フランス王)|アンリ4世]])と結婚したが、1599年に離婚した。