「マルグリット・ド・フランス (1523-1574)」の版間の差分

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1538年末には、父フランソワ1世と[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世_(神聖ローマ皇帝)|カール5世]]との間で縁談がまとめられ、当時カールの唯一の息子だったフィリップ(のちの[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]])と婚約した。しかし、父王とカール5世の協調は長続きせず、この話は流れた。
 
父王も、後を継いだ兄王[[アンリ2世_(フランス王)|アンリ2世]]も、マルグリットの身分に見合う相手を探すことに苦心した。やっと、マルグリットが結婚することになったのは、1559年のことだった。[[カトー・カンブレジ条約]]に関連し、[[政略結婚]]の意味合いを含む形で、サヴォイア公国の[[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]との婚約が決まったのである(あわせてフェリペ2世と姪[[エリザベート・ド・ヴァロワ|エリザベート]]王女の結婚も決まった)。
 
1559年6月末から7月初旬に、エリザベートの結婚とマルグリットの婚約を祝う宴が開かれることになった。この祝宴では様々な催事が行われたが、6月30日に開催された[[馬上槍試合]]の事故で、アンリ2世は右目を負傷した。この傷は致命的なものであったが、病床のアンリ2世には意識があり、マルグリットに対しすぐにでも挙式をするよう命じた。自らの死が口実となって、サヴォイア公国との同盟関係が白紙に戻されることを恐れたためである。式は7月9日から10日にかけての真夜中の教会で行われ、アンリ2世はその日に世を去った。
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