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YODAFON (会話 | 投稿記録)
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イスラム教のカリフは、ローマ教会の教皇(法王)に似ているとされる。確かに、カリフという語は「代理人」を意味し、[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|使徒ムハンマド]]の代理人の資格でイスラム共同体を指導したので、使徒ペテロを継承するローマ教皇とよく似ている。また、[[アッバース朝]]期の後半から[[マムルーク朝]]期にかけては、有力な軍事指導者に大[[アミール]]、[[スルタン]]などの称号を授与し、その権威を保証するものの、実態においてはまったく名目的・儀礼的な支配者に過ぎなかったことは[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]]と教皇の関係に似る。
 
しかしながら、教皇とカリフの間には非常に大きな相違がある。すなわち、ローマ教皇はカトリック教会における聖職者の最高位ではあるが、[[カリフ]]は[[聖職者]]ではないし、イスラム共同体における宗教的な権威の最高位ではない。そもそも[[イスラム教]]では建前として理論上[[聖職者]]をおかず、また実際にいないとされ、[[ウラマー]]と呼ばれるイスラム教に関する学問を修めた知識人が宗教指導聖職者にあたるが、[[カリフ]]自身の資格には[[ウラマー]]である必要も、イスラムの学問を修めている必要もない。カリフが存在するのはイスラム教の二大宗派のうちの[[スンナ派]]であるが、スンナ派では宗教的な解釈などの権威はウラマーの学界のコンセンサスによって成り立ち、それを動かす力をもつのは学識あると認められた高位の[[ウラマー]]であって、[[カリフ]]ではない。このため、高位の[[ウラマー]]の承認によって[[カリフ]]が廃されることもしばしば起こった。
 
[[カリフ]]は[[マムルーク朝]]の滅亡後いったん途絶え、[[18世紀]]後半から[[19世紀]]に[[オスマン帝国]]の皇帝がスルタンにしてカリフを兼ねる存在であるという言説とともに復活するが、この時代においても帝国内の宗務は[[ウラマー]]の最高位であるシェイヒュルイスラームの権限であり、帝国外の宗務について[[オスマン帝国]]の力は及ばなかった。近代における[[カリフ]]は宗教的な指導者ではなく、全[[スンナ派]][[イスラム世界]]の名目的な首長ととらえられていたとみるべきである。これは[[ローマ教皇]]よりも、当時、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]の権威を引き継いだと主張する[[ロシア帝国|ロシア皇帝]]が、全[[東方正教会]]に対する保護者を自認していたのに似ている。