「英領ゴールド・コースト」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Johncapistrano (会話 | 投稿記録)
m 英語版2007年9月26日 (水) 22:05(UTC)の版など参照。
1行目:
{{基礎情報 過去の国
[[Image:Gold Coast Map 1896.jpg|right|200px]]
|日本語国名=英領ゴールド・コースト
'''ゴールド・コースト''' ('''Gold Coast''') は[[アフリカ]]西部[[ギニア湾]]周辺に設けられていた[[英国]]の[[植民地]]。
|公式国名= Colony of Gold Coast
|建国時期= [[1821年]]
|亡国時期= [[1957年]]
|変遷1=植民地設置
|変遷年月日1= [[1821年]]
|変遷2 =諸王国を保護下に治める
|変遷年月日2= [[1901年]]
|変遷3 =[[英領トーゴランド]]併合
|変遷年月日3 =[[1956年]][[12月13日]]
|変遷4=[[ガーナ]]として独立
|変遷年月日4 =[[1957年]][[3月6日]]
|
|p1 =
|flag_p1 =
|次代1=ガーナ
|次旗1= Flag of Ghana.svg
|
|国旗画像= Flag of the Gold Coast.svg
|国旗リンク=
|image_coat =
|image_map =
|
|首都= [[ケープコースト]] (1821年 - 1877年) <br />[[アクラ]] (1877年 - 1957年)
|national_anthem =
|公用語= [[英語]]
|religion =
|currency =
|元首等肩書=[[イギリス君主一覧|イギリス王]]
|元首等氏名1= [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]](初代)
|元首等年代始1= 1821年
|元首等年代終1=1901年
|元首等氏名2= [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](末代)
|元首等年代始2 = 1952年
|元首等年代終2=1957年
|title_leader = [[British monarchy|Monarch]]
}}
[[Image:Gold Coast Map 1896.jpg|right|thumb|200px|1896年の地図]]
'''ゴールド・コースト''' ('''Gold Coast''') は[[アフリカ]]西部[[ギニア湾]]周辺に設けられていた[[英国]]の[[イギリス帝国|植民地]]。
 
この地域への最初のヨーロッパ人の到来は[[1471年]]の[[ポルトガル]]であった。彼らは[[金]]を産出する諸王国と接触した。[[1482年]]にポルトガルは黄金海岸で最初のヨーロッパ勢の拠点となった[[エルミナ城]]を建てた。ここで彼らは[[奴隷]]、金、[[ナイフ]]、[[ビーズ]]、[[鏡]]、[[ラム酒]]、[[銃]]などを交易した。このことはすぐにヨーロッパに知れ渡り、イギリス、[[デンマーク]]、[[ドイツ]]、[[スウェーデン]]の交易者が海岸線に砦を築いた。多量の金が採掘されたため、ヨーロッパ人によってこの地域は黄金海岸と称されてきたが、奴隷も長年にわたって主要な交易品であった。
ゴールド・コーストの起源は1821年に英国政府が一帯の土地所有権を手にしたことに由来する。多量の[[金]]が採掘されたため、[[ヨーロッパ]]人によってこの地域はゴールド・コーストと称されてきた。
 
英領植民地はポルトガル、[[オランダ]]に代わり[[1821年]]に英国政府が海岸付近の土地所有権を手にして設置された。[[1850年]]にデンマーク、[[1872年]]にはオランダが全ての砦をイギリスに売却した。
英国は、他のアフリカ人の国家を支配していた内陸部のアシャンティ王国や隣接するヨーロッパ諸国の植民地を打ち破り、植民地を拡大していった。
 
イギリスは小王国や他のアフリカ人の国家を支配していた内陸部の[[アシャンティ帝国]]、他のヨーロッパ植民地に侵攻して徐々に支配地を広げた。イギリスにとっての主な課題はガーナの大部分を支配するアシャンティ人の平定にあった。第一次英アシャンティ戦争 ([[1863年]] - [[1864年]]) ではアシャンティの首長と奴隷制への意見のくい違いで衝突した。[[1873年]] - [[1874年]]の第二次戦争でイギリスはアシャンティの首都[[クマシ]]を奪った。[[1893年]] - [[1894年]]の第三次戦争はアシャンティの新たな皇帝が新しい称号を求めたことへ対して行われた。[[1895年]] - [[1896年]]の第四次戦争でアシャンティ帝国は独立を失った。ホジソン総督がアシャンティの玉座を盗もうとしたことへの[[1900年]]のアシャンティの反乱などの結果、[[1902年]][[1月1日]]にアシャンティはイギリスの保護国とされた。
1946年には[[英領トーゴランド]]、アシャンティ、[[ファンテ保護領]]などを合併し、ゴールド・コーストとした。9年後、1957年にゴールド・コーストは独立し、国名を[[ガーナ]]と定めた。
 
[[1901年]]までに黄金海岸の全域の王国や[[部族]]がイギリス領に組込まれ、金や他の金属、[[ダイヤモンド]]、[[象牙]]、[[コショウ|胡椒]]、[[木材]]、[[トウモロコシ]]、[[ココア]]などの様々な資源がイギリスにより積出された。イギリスの入植者が整備した[[鉄道]]はガーナの鉄道の基盤となった。西洋式の病院や学校も建設された。
 
[[第二次世界大戦]]末の[[1945年]]までに黄金海岸の住民の自治要求が高まり蜂起を始めた。[[脱植民地化]]の波の始まりだった。
 
19461956まで[[英領トーゴランド]]、アシャンティ保護国、[[ファンテ保護]]などをが併併し、ゴールド・コーストとしされた。9年後、1957年にゴールド・コースト植民地は独立し、国名を[[ガーナ]]と定めた。
 
[[Category:イギリス史|こるとこすと]]