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'''ナチョ・ドゥアト'''(Nacho Duato 本名Juan Ignacio Duato Bárcia,[[1957年]][[1月8日]] - )は、[[スペイン]][[バレエ]]ダンサー、[[振付家]]
 
 
[[バレンシア]]生まれ。
18歳のときロンドンのランベールバレエスクールへ入学し、ブリュッセルの[[モーリス・ベジャール]]・ムードラバレエスクール、ニューヨークのアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアターで学ぶ。その後同バレエ団に入団しようとするが永住許可が下りず、1980年にストックホルムのクルベリ・バレエ団に入団する。翌1981年に[[ネザーランド・ダンス・シアター]](NDT)に移籍。ダンサーとして踊る傍ら、[[イリ・キリアン]]や[[ハンス・ファン・マネン]]の元で振付師として活動。1983年にはNDTのために振付けた処女作「ジャルディ・タンカート」がケルンの国際振付家コンクールで1位を受賞。
 
[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]生まれ。
18歳のとき[[ロンドン]]のランベールバレエスクールへ入学し、[[ブリュッセル]]の[[モーリス・ベジャール]]・ムードラバレエスクール、[[ニューヨーク]]のアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアターで学ぶ。その後同バレエ団に入団しようとするが永住許可が下りず、1980年に[[ストックホルム]]のクルベリ・バレエ団に入団する。翌1981年に[[ネザーランド・ダンス・シアター]](NDT)に移籍。ダンサーとして踊る傍ら、[[イリ・キリアン]]や[[ハンス・ファン・マネン]]の元で振付師として活動。1983年にはNDTのために振付けた処女作「ジャルディ・タンカート」が[[ケルン]]の国際振付家コンクールで1位を受賞。
 
1990年にスペイン国立リリコ・バレエ団の芸術監督に、[[マイヤ・プリセツカヤ]]の後任として就任。1993年に同団はスペイン国立ダンスカンパニー(CND)に改称した。
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キリアン、[[ウィリアム・フォーサイス|フォーサイス]]、[[ジョン・ノイマイヤー|ノイマイヤー]]に続く次代の[[コンテンポラリー・ダンス]][[コレオグラファー]]として期待される。
 
2005年に映画『[[靴に恋して]]』に医師役として出演している。
 
 
{{DEFAULTSORT:とうあと なちよ}}
[[Category:バレエの振付家]]
[[Category:スペインのバレエダンサー]]
[[Category:1957年生]]
 
 
[[en:Nacho_Duato]]