「三世一身法」の版間の差分

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== 律令体制での位置づけ ==
一般に三世一身法は、後の墾田永年私財法と併せて、律令体制の根幹である[[公地公民制]]の崩壊の第一歩だ、と考えられている。<br>
 
しかし、公地公民制が律令体制の根幹であるとは、律令のどこにも記載されていない。([[昭和]]期の[[カール・マルクス|マルクス]]派歴史家が提唱しただけに過ぎない、という見方もできる<br>
 
現存する[[養老律令]]の田令には、農地開墾に関する規定がないことから、特に墾田を推奨するため、三世一身法を特別措置法的に定めたものと考えられる。この観点からであれば、三世一身法は律令の不備を補完する法令だったと言える。
 
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[[category:歴史上の法令|さんぜいっしんのほう]]
[[category:日本史|さんぜいっしんのほう]]
[[category:農業の歴史|さ]]