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'''第三舞台'''(だいさんぶたい)とは、[[株式会社]][[サードステージ]]が運営する、[[鴻上尚史]]主宰の[[劇団]]。[[小劇場運動]]第3世代の代表的な劇団の一つである。
== 大寺ワンダーランド開催迫る! ==
[[大寺眞輔]][http://dravida.udn.ne.jp/]さん、こんにちは。boid田口です。遂にこの季節がやって来ましたね。そう、普段は笑わず能面顔の大寺さんが、四年に一度、大勢の観客の前で笑い顔を披露するというあのドリカムワンダーランドのパクリ、大寺ワンダーランドです。前回は『涙の能面酒場』のサビを終えたあと、それはそれはブサイクな笑い顔を披露してくれましたね。今回はどんなブサイク笑顔を披露してくれるかスタッフ一同話していたところなんですよ。しかも今回のステージでは『涙の能面酒場』『大寺眞輔が能面であることについて、私が知っている二、三の事柄』といった往年の大コケ曲はもちろん、待望の新曲を披露して下さるそうで今からとても楽しみです。前回は私も裏方として参加しましたが、今回は諸事情のため参加出来ないことになりました。boid田口、とても残念です。この場を借りてお詫びします。しかし、大寺さんの事ですから私がいなくてもきっとステージを成功に導く事でしょう。
 
現在10年間の活動封印中で、[[2011年]]に復活の予定。
P.S 青山真治の掲示板がMt.stornといった謎の人物に削除されました。一体何者なんでしょうね。これからはちよっと注視していきたいと思います。
主な上演作品に『朝日のような夕日をつれて』、『天使は瞳を閉じて』などがある。
 
== 来歴 ==
[[1981年]]、[[早稲田大学演劇研究会]]の中の劇団(アンサンブル)として結成された。当時の劇団員は主宰の鴻上尚史のほか、男性俳優5人。[[岩谷真哉]]、[[大高洋夫]]、[[名越寿昭]]ら。鴻上の作・演出により、当時流行の玩具[[ルービックキューブ]]を題材にとり、[[サミュエル・ベケット]]の『[[ゴドーを待ちながら]]』を下敷きにした戯曲『朝日のような夕日をつれて』を[[大隈講堂]]裏の劇研のテントで上演し、旗揚げした。翌年新入部員を新たな劇団員として迎える。このとき[[小須田康人]]、[[長野里美]]らが入団する。核シェルターを舞台にゴーリキーの『[[どん底]]』を下敷きにした第二戯曲『宇宙で眠るための方法について』を同テントで上演。続いて第三戯曲『プラスチックの白夜に踊れば』で同テントを[[大隈講堂]]前広場に設営して上演する。これら三戯曲の間には筋の連続や登場人物のつながりはないが、そこには世界の終わりというゆるい主題の連関があり、鴻上はこれを「核戦争三部作」と呼んだ。
 
[[1983年]]池袋の劇場、[[シアターグリーン]]の主催するシアターグリーンフェスティバルで『朝日のような夕日をつれて』を上演。これが最初の劇場公演となった。同年『デジャ・ヴュ』を大隈講堂裏特設テントで上演。初めてマスコミで取り上げられる。翌年[[ザ・スズナリ]]で『宇宙で眠るための方法について』を再演。第三舞台は次第に演劇界の注目を集めるようになっていき、鴻上の戯曲集も刊行された。その時々の風俗を取り入れた軽妙な台詞のやり取り、流行の音楽を多用しダンスを取り入れた舞台進行、速い場面の移り変わりは80年代初頭の観客に熱狂的に迎えられた。一方作品全体を覆う虚無感と閉塞感により「明るい虚無」といわれる。順調に人気を伸ばしながらも、大高洋夫が就職により一時舞台を離れたり(『リレイヤー』の解散した劇団という設定はこのときの状況を反映したもの)、岩谷真哉のバイク事故死などの困難を経るが、[[1984年]]、[[ザ・スズナリ]]の『モダン・ホラー』を最後に、[[早稲田大学演劇研究会]]を離れ、プロ化へ乗り出す。[[1985年]]1月[[紀伊國屋ホール]]に初めて進出し、『朝日のような夕日をつれて '85』を上演した。同年10月、ザ・スズナリで新作『もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ』を上演。その観客動員の多さに、もはやザ・スズナリ規模での公演は不可能だと確信した、と鴻上自身が著書等で述べている。
 
[[1986年]]2月には『デジャ・ヴュ』を『デジャ・ヴュ'86』として再演、東京・[[紀伊國屋ホール]]と大阪・[[近鉄小劇場]]で公演を行った。第三舞台にとってはこれが初めての大阪公演であった。同年12月には、[[サンシャイン劇場]]で新作『ハッシャ・バイ』を上演。1カ月間の公演で延べ2万人の観客を集め、[[夢の遊眠社]]を抜いて、小劇場動員ナンバー1を記録する(その動員記録は翌年の夢の遊眠社『明るい冒険』で再び抜かれるが)。このころから鴻上は毎回[[岸田國士戯曲賞]]の候補となるが、その軽いとも揶揄される作風が審査員にはやや不評を買い「万年岸田賞候補作家」と自称するようになる。一方、劇団の主宰者としての鴻上は「演劇で食っていける劇団」を標榜し劇団員のテレビなどの出演にも積極的に取り組み、岩谷の後を埋めた[[筧利夫]]、[[勝村政信]]らが人気を博すようになっていく。名越は本職である教師専念のため『ハッシャ・バイ』を最後に退団。第三舞台を離れていた[[池田成志]]([[山の手事情社]])がたびたび客演するようになる。
 
1980年代末になると、他の演出家の公演にも劇団員は参加するようになる。その間も第三舞台は順調に人気を伸ばし、人気劇団としての地位をゆるぎないものにしていった。[[1991年]]にはエジンバラ演劇祭に参加し『天使は瞳を閉じて・インターナショナル版』を上演した。
 
鴻上は[[1994年]]に『スナフキンの手紙』(スナフキンは鴻上が上演時に配る手書きコピーの「ごあいさつ」でたびたびモチーフにする、『ムーミン』の登場人物である放浪の詩人である)で岸田國士戯曲賞を受賞。しかしこの頃から劇団員のタレント活動が本格化し劇団としての公演スケジュールを確保するのが困難になった上、長野里美や鴻上自身のイギリス留学なども重なり、公演回数は減少する傾向に向かう。[[2001年]]には第三舞台20周年記念公演として『ファントム・ペイン』を上演するが、同公演を封印公演とし、第三舞台は10年間の休眠に入った。
 
==所属俳優・所属していた俳優==
現在の劇団員は正式に公表されていない。早い段階([[1990年代]]後半)から劇団員の多くが第三者のプロダクションに所属しており、また[[2006年]]9月には[http://www.thirdstage.com/management/ サードステージ・マネージメント部が独立]。
現時点で株式会社サードステージに所属する俳優はいない。
 
上記来歴に記載のない、主な劇団員経験者は以下の通りである。
*[[山下裕子]]
*[[筒井真理子]]
*[[京晋佑]]
*[[藤谷美樹]](現・藤谷みき)
*[[伊藤正宏]](現在…構成作家。[[クイズ$ミリオネア]]等)
*[[利根川祐子]](現在…エアロビクスのインストラクター(89年当時))
*[[安田雅弘]]
*[[戸田山雅司]](現在…脚本家)
 
== 公演歴 ==
※第三舞台名での公演のみ。サードステージプロデュースは除く
<table class="wikitable">
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1981年5月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて</td><td style="white-space:nowrap;">早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1981年10月</td><td style="white-space:nowrap;">宇宙で眠るための方法について</td><td>早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1982年5月</td><td style="white-space:nowrap;">プラスチックの白夜に踊れば</td><td>早稲田大学大隈講堂'''前'''特設テント</td><td>大学無許可の大隈講堂'''前'''公演</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1982年10月</td><td style="white-space:nowrap;">電気羊はカーニバルの口笛を吹く</td><td>早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1983年2月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'83</td><td>[[シアターグリーン]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1983年6月</td><td style="white-space:nowrap;">リレイヤー</td><td>早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1983年10月</td><td style="white-space:nowrap;">デジャ・ヴュ</td><td>早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1984年2月</td><td style="white-space:nowrap;">宇宙で眠るための方法について</td><td>[[ザ・スズナリ]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1984年5月</td><td style="white-space:nowrap;">プラスチックの白夜に踊れば</td><td>早稲田大学大隈講堂裏特設テント</td><td>[[岩谷真哉]]死去の為、公演中止</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1984年9月</td><td style="white-space:nowrap;">モダン・ホラー</td><td>[[ザ・スズナリ]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1985年2月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'85</td><td>[[紀伊國屋ホール]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1985年3月</td><td style="white-space:nowrap;">春にして君とわかれ</td><td>[[東芸劇場]]</td><td>若手番外公演</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1985年6月</td><td style="white-space:nowrap;">リレイヤー</td><td>[[本多劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1985年7月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'85</td><td>[[紀伊國屋ホール]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1985年10月</td><td style="white-space:nowrap;">もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ</td><td>[[ザ・スズナリ]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1986年2月</td><td style="white-space:nowrap;">デジャ・ヴュ'86</td><td>[[紀伊國屋ホール]]<br>[[近鉄小劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1986年6月</td><td style="white-space:nowrap;">スワンソングが聴こえる場所</td><td>[[本多劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1986年12月</td><td style="white-space:nowrap;">ハッシャ・バイ</td><td>[[サンシャイン劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1987年7月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'87</td><td>[[紀伊國屋ホール]]<br>名古屋[[フレックスホール]]<br>[[近鉄小劇場]]<br>[[札幌本多劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1987年12月</td><td style="white-space:nowrap;">モダン・ホラー特別編</td><td>[[本多劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1988年7月</td><td style="white-space:nowrap;">天使は瞳を閉じて</td><td>[[紀伊國屋ホール]]<br>[[近鉄小劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1989年2月</td><td style="white-space:nowrap;">宇宙で眠るための方法について・序章</td><td>[[紀伊國屋ホール]]<br>[[近鉄小劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1989年9月</td><td style="white-space:nowrap;">ピルグリム</td><td>[[スペースゼロ]]<br>[[近鉄アート館]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1990年8月</td><td style="white-space:nowrap;">ビー・ヒア・ナウ</td><td>[[シアターコクーン]]<br>[[近鉄劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1991年2月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'91</td><td>[[紀伊國屋ホール]]</td><td>実験的に1日だけ[[クローズドサーキット]]を[[スタジオアルタ]]で実施</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1991年8月</td><td style="white-space:nowrap;">ハッシャ・バイ</td><td>[[紀伊國屋ホール]]<br>[[近鉄小劇場]]</td><td>[[クローズドサーキット]]を東京・大阪・福岡・名古屋で実施</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1991年11月</td><td style="white-space:nowrap;">天使は瞳を閉じて~THE ANGELS WITH CLOSED EYES~</td><td>LONDON<br>EDINBURGH<br>BELFAST<br>[[近鉄小劇場]]<br>[[シアターアプル]]</td><td>劇団初の海外公演</td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1994年7月</td><td style="white-space:nowrap;">スナフキンの手紙</td><td>[[アートスフィア]]<br>[[近鉄劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1995年4月</td><td style="white-space:nowrap;">パレード旅団</td><td>[[PARCO劇場]]<br>[[近鉄小劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1996年8月</td><td style="white-space:nowrap;">リレイヤーIII</td><td>[[サンシャイン劇場]]<br>[[近鉄劇場]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">1997年1月</td><td style="white-space:nowrap;">朝日のような夕日をつれて'97</td><td>[[紀伊國屋サザンシアター]]<br>[[近鉄小劇場]]<br>札幌[[道新ホール]]<br>福岡[[大野城まどかぴあ]]</td><td></td>
</tr>
<tr>
<td style="white-space:nowrap;">2001年9月</td><td style="white-space:nowrap;">ファントム・ペイン</td><td>[[ル・テアトル銀座]]<br>[[近鉄劇場]]<br>[[メルパルクホールFUKUOKA]]</td><td>第三舞台20周年記念&10年間封印公演</td>
</tr>
</table>
 
==外部リンク==
*[http://www.thirdstage.com/ 公式サイト]
 
[[Category:日本の劇団|たいさんふたい]]