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'''松平 重忠'''('''まつだいら しげただ'''、[[1570年]]([[元亀]]元年) - [[1626年]][[8月22日]]([[寛永]]3年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]])は、[[安土桃山時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国江戸時代]]の[[武将]]。[[松平重勝]]の長男。母は[[鳥居元忠]]の妹(姉とも)。弟は[[松平重長|淡路守重長]]、[[松平勝隆|出雲守勝隆]]など。正室は[[戸田忠次]]の娘。娘に[[屋代忠正]]室、[[松平重直]]室。嗣子の松平重直は養子。官位は従五位下。[[丹後国|丹後]]守。
 
[[慶長]]17年([[1612年]])に大番頭となる。慶長19年([[1614年]])に[[大坂の役]]が始まると、冬の陣では[[大坂城]]攻め、夏の陣では[[伏見城]]守備を担当した。[[元和 (日本)|元和]]7年([[1621年]])、[[駿府城]]代に任じられた。同年に家督を継ぎ[[横須賀藩]]主となる。元和8年([[1622年]])には[[出羽国]][[上山藩]]4万石に加増移封された。寛永3年(1626年)7月1日、57歳で死去。墓地は[[東京都]][[文京区]]小石川の伝通院。養子の重直は、1万石の減封をもって摂津国三田藩3万石に移封となった。