「アルドゥス・マヌティウス」の版間の差分

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[[画像:A-manutius.jpg|thumb|マヌティウスの肖像画]]'''アルドゥス・マヌティウス'''(Aldus Pius Manutius, Romanus [[1450年]]頃-[[1515年]][[2月6日]])は、[[15世紀]]に活躍した、商業[[印刷]]の父と言われる[[ルネサンス]]期[[ヴェネツィア]]で活躍した出版人。[[1494年]]にはアルド印刷所(Aldine Press)を設立しヴェネツィアから多くの名著を出版し子・孫の3世代に渡って印刷文化を牽引した。
 
[[バッシアーノ]]に生まれ、[[ローマ]]で成長する。古典のギリシャ語、ラテン語を学び、人文主義者の[[ピコ・デラ・ミランドラ]]とも交友があり、非常に学識豊かであった。[[1475年]]から20年かけて、ヴェネツィア印刷工房を設け、ギリシア、ラテンの古典(約<!--?訳-->120点)を校訂し、出版した。ギリシャ文字の活字を製造し、また、[[イタリック体]]や[[アンティカ体]]の開発者でもある。
 
近代の印刷技術の祖は[[ヨハネス・グーテンベルク]]であることは疑う余地もない。その功績は単に印刷機だけではなく、活字合金・活字鋳造・組版・インキ・印刷機・製本などの技術をセットで作り上げたことにあると言える。現代の書籍に必須であって彼の手によるものでない要素がひとつ、そして相違点がひとつあった。その要素とは[[ノンブル]](ページ番号)であり、相違点とは本のサイズである。彼の作った聖書は飽くまでも神の秩序であり、紙面(ページ)という「人間の都合」で数字を付ける理由は無かったと考えられる(?)<!---?疑問 聖書以外の本はどうか、等の点は説明できるであろうか--->。加えて、[[グーテンベルク聖書]]はその装飾性からいっても、従来の写本を活版によって再現しようとしたものと言え、いま残るグーテンベルク聖書がそうであるように、非常な大型本であった。