「土井利則」の版間の差分

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{{武士/氏族|[[藤堂氏]]→[[土井氏]]}}
{{武士/父母|父:[[藤堂高ヤツ|藤堂高秭]]、養父:''[[土井利亨]]''}}
{{武士/妻|正室:土井利亨の養女・心誠院([[土井利位]]の娘)}}
{{武士/子|[[土井利与]](長男)、娘([[土井利恒]]室)、<br />娘([[大岡忠貫]]室)、娘([[三浦顕次]]室)}}
{{武士/終了}}
 
'''土井 利則'''(どい としのり)は、[[下総国|下総]][[古河藩]]の第116代[[藩主]]。土井家宗家13代
 
天保2年(1831年)9月、[[伊勢国|伊勢]][[久居藩]]主・[[藤堂高秭]]の四男として生まれる。[[弘化]]4年([[1847年]])3月7日に古河藩の第105代藩主・土井利亨の[[養子]]となる。[[嘉永]]元年([[1848年]])、利亨の死去により[[家督]]を継いで第116代藩主となる。12月16日に従五位下・大炊頭に叙位・任官する。
 
藩政では西洋砲術の演習、武芸の奨励、[[片町]]教武所の創設などに尽力しているが、病弱だったために藩政を執ることが次第に困難となり、[[慶応]]3年([[1867年]])4月5日に家督を長男の土井利与に譲って[[隠居]]した。
 
明治24年(1891年)8月26日に死去。享年61。
 
{{先代次代|[[古河藩|土井氏(古河藩116代)藩主]]|1848年 - 1867年|[[土井利亨]]|[[土井利与]]}}
 
{{DEFAULTSORT:とい としのり}}