「土井利与」の版間の差分

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{{武士/氏族|[[土井氏]]}}
{{武士/父母|父:[[土井利則]]<br />母:[[土井利亨]]の養女([[土井利位]]の娘)・心誠院}}
{{武士/妻|正室:[[青山忠良]]の娘、継室:[[大関増式]]の娘}}
{{武士/子|[[土井利孝]](長男)、土井利正(次男)、<br />土井利大(三男)、娘(大橋篤治室)、<br />娘(井関保久室)、娘(金沢某室)、娘(高田政治室)}}
{{武士/子|[[土井利孝]]}}
{{武士/終了}}
 
'''土井 利与'''('''どい としとも''')は、[[下総国|下総]][[古河藩]]の第127代(最後)の[[藩主]]。土井家宗家14代
 
嘉永4年(1851年)6月、第116代藩主・土井利則の長男として[[江戸]]日比谷の古河藩上屋敷で生まれる。[[慶応]]3年([[1867年]])4月5日、父が病を理由に[[隠居]]したため、[[家督]]を継いで第127代藩主となる。慶応4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では新政府軍に恭順している。
 
[[明治]]2年([[1869年]])6月の[[版籍奉還]]で古河[[藩知事]]に任じられ、明治4年([[1871年]])7月15日の[[廃藩置県]]で免官された。後に子爵となる。昭和4年(1929年)1月2日に死去。享年79。
 
{{先代次代|[[古河藩|土井氏(古河藩127代)藩主]]|1867年 - 1871年|[[土井利則]]|廃藩置県}}
 
{{DEFAULTSORT:とい としとも}}