「貨幣数量説」の版間の差分

 
 
イギリスでは1818年に100だった物価が1891年には45と継続的な'''デフレ'''になやまされ、ドイツ・アメリカなども同様の傾向が見られた。この間、1848年[[ゴールドラッシュ|カリフォルニア]]、51年オーストラリア([[ビクトリア州]])、86年[[南アフリカ]](ラント金鉱)の発見など各地で金鉱が発見され、金塊ベースの開削供給は順調であったとみられるのにデフレは進行し、貨幣中立説では説明できない経済現象がおこっているのはあきらかだった(古典的な中立説によれば、経済システムの中の金塊量が増えれば'''インフレ'''になる)。結果的にはこれは産業革命が成熟期に達し、英米や欧州各国で商品供給力が急激に増大したことや、金銀[[複本位制|複本位]]の交換レートが変動し、[[グレシャムの法則|金が退蔵される傾向]]にあっことなどが要因であるが、革命や戦争、理由のわからない経済恐慌(英1836、英47、英57、英66、欧州73-96)と物価の乱高下に資本主義経済は悩まされ続けた。<!--マクミラン 「世界歴史統計」 R.R.ミッチェル-->
 
 
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