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元禄7年(1694年)11月6日、宇都宮藩の第4代藩主・奥平昌明(昌章)の次男として生まれる。長兄の次郎吉が早世したために世子となり、元禄8年([[1695年]])の父の死去により、[[家督]]を継いで宇都宮藩の第5代藩主となった。
 
元禄10年([[1697年]])2月11日に丹後宮津藩に移封される。同16年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]([[1703年]])、10歳で[[徳川綱吉|綱吉]]将軍に初拝謁。[[宝永]]4年([[1707年]])12月23日、従五位下・大膳大夫に叙位・任官する。
 
[[正徳]]3年([[1713年]])、丹後宮津で領内巡検。この年の[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]、幕府老中・阿部飛騨守正喬の娘と婚姻。
[[享保]]2年([[1717年]])2月11日に1万石加増の上で、豊前中津藩10万石に移封となる。延享元年([[1744年]])12月16日に従四位下に昇叙する。延享3年(1746年)11月14日に死去。享年53。後を次男の奥平昌敦が継いだ。
 
[[享保]]2年([[1717年]])2月11日に1万石加増の上で、豊前中津藩10万石に移封となる。同7年([[1722年]])3月、藩士に対し、中津藩庁へ先祖書を提出させた。これが、現在に伝わる奥平家臣に関する資料の元となる。
 
[[享保]]2年([[1717年]])2月11日に1万石加増の上で、豊前中津藩10万石に移封となる。延享元年([[1744年]])12月16日に従四位下に昇叙する。延享3年(1746年)11月14日に死去。享年53。後を次男の奥平昌敦が継いだ。
 
{{先代次代|[[宇都宮藩|奥平氏(宇都宮藩5代)藩主]]|1695年 - 1697年|[[奥平昌章]]|[[阿部正邦]]}}