「正岡容」の版間の差分

 
==生涯==
東京市神田区(現在の[[東京都]][[千代田区]][[神田 (千代田区)|神田]]生まれ。[[京華高等学校|京華中学校]]在学中、[[短歌]]を[[吉井勇]]、[[戯曲]]を[[久保田万太郎]]、[[川柳]]を[[阪井久良伎]](くらき)に学び、それぞれの弟子と称する。[[1922年]]、歌集『新堀端』、小説紀行集『東海道宿場しぐれ』を刊行。[[1923年]]、[[日本大学]]入学。同年、19才で発表した小説『江戸再来記』が[[芥川龍之介]]に絶賛されたのを機に、文筆活動に入り、大学は中退。
 
昭和初年、[[大阪]]に都落ちした際、記者時代の[[真杉静枝]]と恋に落ちて情死を図ったが未遂に終わる。その後東京に戻り、[[小島政二郎]]に入門して小説を修業。[[1933年]]に'''蓉'''から'''容'''に改名。[[1941年]]、[[三遊亭圓馬]]の夫人の紹介で、[[舞踏家]]の[[花園歌子]]と結婚。[[太平洋戦争]]の直前、雑誌『日の出』に発表した『円太郎馬車』が[[古川ロッパ]]の主演により東京有楽座で上演される。
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