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'''江島 其磧'''(えじま  きせき、[[寛文]]6年(1681)([[1666年]]) - [[享保]]20年(1735)6[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]([[1735年]][[7月20日]]))は、[[浮世草子]]作者。京の大仏餅屋村瀬正孝の子で名は権之丞、通称庄左衛門。

[[元禄]]期には[[浄瑠璃]]を書いていたが、[[役者評判記]]、そして元禄14年([[1701年]])から浮世草子を書き始めた。宝永期まで、板元の[[八文字屋自笑]]の代作者だったが、1710年頃から不和となり、享保3年([[1718年]])に和解したのち、江島其磧の名で執筆を始める。70以上の浮世草子を書き、最も売れた浮世草子作者であった。三味線物や[[気質物]]の分野を作った。自笑の作品とあわせて「[[八文字屋本]]」と呼ばれる。
 
==主たる浮世草子==
*けいせい色三味線(元禄14(1701年)
*世間子息気質(正徳5[[1715]]
*世間娘気質
*傾城色三味線
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*浮世親仁形気
*けいせい伝受紙子
 
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[[Category:江戸時代の文学]]
[[Category:1666年生]]
[[Category:1735年没]]