「アウグスト・セサル・サンディーノ」の版間の差分

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サンディーノは'''アウグスト・ニコラス・カルデロン・サンディーノ'''('''Augusto Nicolás Calderón Sandino''')として、[[太平洋]]側の寒村[[ニキノオモ]]で白人の中規模コーヒー地主のドン・グレゴリオ・サンディーノと、その農場で働いていた[[インディオ]]の女中、マルガリータ・カルデロンの間に[[私生児]]として生まれた。後にグレゴリオが結婚するとアウグストを正式に自分の息子だと認知し、サンディーノは9歳まで母親と共に暮らした後、父親と家族の家に移り住んだ。
 
当時のニカラグアでは[[ウィリアム・ウォーカー|ウォーカー戦争]]以前から対立し、時折内戦を起こしていた自由党派と保守党派が都市ごとに別れて激しく対立していたが、ドン・グレゴリオは熱心な自由党派であり、サンディーノも父親の影響を受けて自らも自由党派を名乗り、後に護憲戦争が始まった時は自由党軍の将軍として参戦する。
 
サンディーノは私生児だったが、グレゴリオから長男としての扱いを受け、当時それなりの知識人であった父親の書斎にあった本をよく読み、学んだ。[[ローマ帝国]]史の本を読んで、自分の名前のCはカルデロンではなくセサル([[ガイウス・ユリウス・カエサル]]のスペイン語読み)だったということにしたのもこの頃である。
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