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17世紀、[[オランダ独立戦争]]の戦禍を逃れた大量の移民が訪れたことが街の繁栄につながった。カルヴァン派の中心都市の一つとなり、[[聖書]]の[[オランダ語]]への翻訳が最初に行われた。しかしながら、エムス川の流れが変わったため物流ルートが変わり、一時の繁栄は失われた。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]時代にはエムデン及び周辺地域は[[オランダ王国]]の一部となった。
 
1870年頃から製紙工場や造船所などの工業が始まった。19世紀末、ドルトムンド-エムズ(Dortmund-Ems)運河が建設され、[[ルール地方]]と繋がった。これによりエムデンはルール地方の外港になり、1970年代まで続いた。運河を通して、南部からは石炭が運ばれ、ライン・ルール地方には鉄が運ばれた。1986年まで鉄の運搬船がエムデンに係留されてた。
[[第一次世界大戦]]ではエムデンの名を冠したドイツ海軍の軽巡洋艦が[[インド洋]]で[[通商破壊]]を行った。[[第二次世界大戦]]で[[連合軍]]の空襲によりほぼ全ての歴史的建造物を含め町は破壊されつくした。
 
1903年に大型の造船所が設立し、今も存在してる。
 
[[第一次世界大戦]]ではエムデンの名を冠したドイツ海軍の軽巡洋艦が[[インド洋]]で[[通商破壊]]を行った。[[第二次世界大戦]]で[[連合軍]]の空襲によりほぼ全ての歴史的建造物を含め町は破壊されつくした。
 
[[第二次世界大戦]]で[[連合軍]]の空襲によりほぼ全ての歴史的建造物を含め町は破壊されつくした。
1944年9月6日に最も破壊的な爆撃を受け、街の80%程の家が破壊された。にもかかわらず、造船所は破壊を免れたため、英国の標的は市民だったのではないのかと疑われ、市民がナチスによる英国に対する報復を支持する引き金となった。
 
爆撃を受けたちょうど18年後の1962年9月6日に、街は再建された。
 
==スポーツ==